2005年8月31日水曜日

富士登山

 富士山に登ってきた。「富士山に登らないバカ、二度登るバカ」と言うそうだが、じつは私はこれが三度目だ。そのうえ、日ごろ運動不足で疲労気味なので、正直言うと出かける前からうんざりだった。ところが、以前から小学生の姪に、いつかかならず連れていってあげると約束してあった。そこで、同じくらい体力に自信のない私の姉と、もう一人の中学生の姪とともに、無理に気分を盛り立てながら出発した。  

 富士山に初めて登ったのは六年ほど前だった。近所のおばさんから、「富士山はどこからでも見えるでしょう。あの頂上に自分が立ったんだと思うと、なんでもできる気分になるよ」と言われて、思い立ったのだ。よく晴れた日には、船橋の小学校の校庭からでも富士山は見えた。富士山のように高い山でも、自分の足を一歩ずつ前にだせば、たとえどんなにのろくても、いつかはきっと頂上に到達できる。そのことを小さい姪にも教えたい。そう思うからこそ、これ以上、体力がなくなる前にその約束をはたすべく、重い腰をあげたのだった。 

 天候が最も安定するといわれる八月上旬に決行したおかげで、今回は晴天に恵まれた。初日は富士宮口から登って九合目の山小屋に泊まり、翌日未明に出発して頂上を目指した。富士山は禿山をひたすら登るだけなので、いわゆる山好きな人は少ない。まわりを見ると、ピカチューの特大の帽子を目深にかぶった子供、だぶだぶの学ランを着た応援団のような一行、キャミソール姿のギャルなど、信じがたい格好の人もいる。きわめつけは、尻尾付きのウサギの着ぐるみ。以前に登ったときは、白装束の中高年も結構いたが、今回は見かけなかったような気がする。海外からの研修生と思しき一行が100人近くいたせいもあって、中南米やアジア諸国を中心に、いろいろな人と挨拶をかわしながら登ることになった。  

 登り始めは、身体が慣れていないせいか結構しんどい。3000メートルを超えたあたりからは、高山病で気分が悪くなる人もいる。それでも、頂上を極めた人たちの顔は、一様にさわやかだ。山頂で北欧系のカップルが日本語で話しかけてきたので、「富士山に登ると、自信がつくでしょう」と返したら、「ジシン、怖いねえ」との答えが。仕方がないので、「おとといみたいな地震が、いま起きたら怖いね」と、ごまかしておいた。日本語は難しい。  

   山頂といっても、剣ヶ峰に登らないと3776メートルに到達したことにはならない。日本のてっぺんにあるこの測候所は、昨秋から常駐の人がいなくなり、自動観測になったそうだ。真夏の晴天の日ですら、ここに立つと足がすくむ思いがする。冬の猛吹雪の日など、どんな思いで観測をつづけたのだろうか。剣ヶ峰の先のちょうど大沢崩れの上あたりで、みごとな影富士を見た。富士山そのものの影が下界にくっきりと映っていた。  

   お鉢めぐりをしたらお汁粉にしようと、くたびれ気味の小さい姪をなだめすかしながら、火口をひとまわりした。頂上小屋で食べたお汁粉は、600円もするのにお餅一つ入っていないがっかりする代物だったが、姪は満足げに小豆汁をすすっていた。下りは、足は疲れるものの、息が苦しくないから助かる。小学生の姪は先頭に立ってトットコと降りていった。

  横浜からだと富士山は大きく見える。冬の晴れた朝、雪を戴いて宙にぽっかりと浮かぶさまは雄大だ。そんな富士を見て、私もあの頂上に立ったんだ、と姪は“自信”をつけてくれるだろうか。

 影富士

 日本のてっぺんでメールする姪

2005年7月31日日曜日

ダイエット

 このところ運動不足のせいか、数年前は緩かったはずのスカートがどれもきつくなっていることがわかって唖然とした。まわりには体重増加中の娘や姪もいるので、最近ダイエットの本を何冊か斜め読みしている。そのなかで驚いた共通点が1つあった。太るからと言って、食べたいものを我慢して食べないだめ、という点だ。健康によいものを自分が本当に食べたいと思うようになれば、自然に痩せてくるらしい。自分の欲望を一方的に抑えても、ストレスが増すばかりで、それがときおり爆発してかえって逆効果になるという。  

 子供のころ、「~しなさい」と言われると、途端にやる気が失せた。幸い、勉強しなさい、と言われた記憶はほとんどないので、もっぱらピアノのお稽古をしなさい、と毎朝夕、言われつづけたのだが。勉強にしろ、ピアノにしろ、自分から進んでやろうと思った日は、気持ちよくできたし、大いにはかどったのに、怒られて渋々と腰を上げた日は、少しも集中できなかった。だから、私の子供には、うるさく言わずに、なんでも自分でやる習慣を身につけさせてきたつもりだ。  

 でも、こうしたダイエット本によれば、自分のなかにいるもう1人の自分が命令を下し、欲望を押さえつけるのも、同じように効果があがらないらしい。自分に厳しい人間、自分を律することのできる人間が、かならずしもよい結果をだせるわけではないのだ。 

 それなら、自分を甘やかしていいのか、ということではもちろんない。要は、自分を強制するのではなく、やる気を引きだすことなのだ。ダイエットにしろ、勉強にしろ、仕事にしろ、自分がそれを楽しんでできるように、一種の自己暗示をかけるのだ。やらなければならないことと、やりたいことが同じ方向であれば、自分のなかの矛盾がなくなるので、ストレスを感じることもない。 

 問題は、どうすればやる気を引きだせるのかだ。まずは興味をもてるようにすることだろう。ダイエットなら、徹底的に食品の研究をして、カロリー計算ばかりでなく、それぞれの食品のもつ効果や先人の知恵を学び、実際に自分の身体で実験して、画期的な方法を開発するつもりにでもなれば、おもしろいにちがいない。勉強なら、与えられた課題をひたすらこなすのではなく、自分なりの勉強方法を見つけ、興味深いものがあれば、時間の許すかぎり脱線してとことん調べ、考えてみることだろう。仕事の場合は、なおさら苦痛なものが多いから、たいていの人は労働の対価を得ることに唯一の慰めを見出しているけれども、ストレスを減らすにはやはり仕事の過程を楽しむ努力も必要だ。受身の姿勢でノルマをこなすのではなく、効率を上げる、新しい需要を掘り起こすなどの工夫をすれば、どんな単純労働でも、いくらかは楽しくなるはずだ。 

 始める前や、集中できないときのために、気分転換の儀式のようなものも必要かもしれない。シャワーを浴びるとか、体操する、コーヒーを飲む、瞑想するなど、頭のなかをいったん空にできるものがいいような気がするが、まだこれといって自分にぴったりするものは見つからない。 ダイエットの本を読んで、思わぬ発見ができたような気がする。これで昔のスカートも履けるようになり、仕事も順調に進むようになれば、万々歳だ。

2005年6月30日木曜日

社会の一員としてのアイデンティティ

「戦場の結婚式」と題された連載記事が、少し前の毎日新聞に掲載された。沖縄戦のさなか、投降した日本軍の中尉とたまたま一緒にいた村の娘の「結婚式」の写真を米軍がビラに刷り、上空からまいて、投降を呼びかける心理作戦をおこなった。その一枚の写真をもとに、捕虜となった二人がどんな人生を歩んだかを、関係者を訪ねて取材したという内容だったが、戦後60年を経てもなお人びと心に残っているわだかまりの大きさに驚かされた。  

 ちょうど同じころ、40年ぶりにアメリカに帰国したジェンキンスさんを、郷里の人たちが冷ややかに迎えたというニュースが流れていた。脱走兵とされるジェンキンスさんの立場はさらに複雑だろうが、戦争中、日本では捕虜とならず玉砕せよと言われていたから、仲間を裏切り、敵国に寝返った行為と見なされた点では、どちらも同じだろう。  

 亡命、難民なども、国を捨てるという点では似ているし、暴力団から足を洗うとか、カルト集団から脱退する、あるいはもっと身近な例で言えば、他社へ転職するとか、学校の部活動を退部するといった行為にも、どこか共通するものがあると思う。自分の所属する集団と相容れなくなり、そこを抜けることは、とくに裏切るつもりはなくても、一般に内部の人間からは快く思われないのだ。 

 人間は社会のなかで生きる生物だから、自分が所属する社会のために貢献することは当然のこととされる。社会全体の利益となる行為は正当化され、奨励される。構成員は個人的な事情はいろいろあっても、社会のために働き、その利益を守り、拡大するために、精一杯つくさなければならない。社会につくせば、結果的に自分や家族のためにもなる。 

 こうしたことは、いずれももっともに思われるけれど、たとえば1つの社会の利益を追求することが、別の社会の不利益をもたらす場合はどうだろう? 他の社会を顧みず、自分の社会の発展だけを一方的に推進することに、疑問を投げかける人がいたとしたら? あるいは、人を殺したくないし、殺されたくもないと、平和時に誰もが思うことを、徴兵されて戦場に送られても、やはり思う人がいたとしたら? しかも、国の掲げる大義名分が、どう考えても間違っていると思われるとしたら?  

 どんな国でも、為政者が進める政策に国民が100パーセント賛成することはないだろう。社会が進んでいる方向が正しいのかという、疑問の声すらあげられず、国に忠誠をつくすことだけが無条件に強要されるのはたまらない。社会の軌道を修正しようとすることは、その社会を裏切ることではないのだ。  

 集団が比較的小さく、その周囲にもっと大きな社会が存在する場合は、外からの情報によって自分たちの間違いに気づき、軌道修正できるかもしれないし、そこから抜けだすことも容易だろう。しかし、1つの国全体がおかしな方向に進んでいった場合、そのなかで冷静な視点を失わず、正気を保つのはたいへんなことだ。 

 人間はいったん自分の社会にどっぷり浸かってしまうと、内部からしかものごとが見られなくなる。捕虜とか亡命といった問題も、それを内側から見るのと、外側から見るのでは、違った印象になる。過去を振り返って、見直すことも重要だ。ときには、鬼太郎の目玉おやじのようになって、別の場所から自分たちを客観的に眺めることも必要なのではないだろうか。

 6月23日は慰霊の日 琉球新報第一面より

2005年5月31日火曜日

カルガモの雛

 先週の日曜日、近くの川でカルガモの雛が生まれたという連絡をもらい、娘と一緒にでかけた。川のなかはアシなどが生い茂ってよく見えない。少し上流まで歩き、あきらめて戻りかけたところで、運よくその親子を見つけた。雛は10羽と聞いていたのに、9羽に減っていた。コンクリート護岸の藻を食べているのか、スズメくらいの大きさの雛がちょこまかと動きながら進んでいく。全身やわらかい羽毛に包まれ、焦げ目をつけた栗饅頭のようで、じつにおいしそうだ。  

 カルガモ親子とともに川を下っていくうちに、連絡を下さった娘の「お友達」にもついにお会いし、一緒に少し下流まで行った。そこには別のカルガモが数羽いて、なぜか親子連れをいじめはじめた。すると、母ガモは血相を変えて羽根をばたつかせ、猛禽のごとく果敢に相手を追い払い、また9羽の雛をしたがえて悠然と泳いでいった。母は強し。鳥の世界もなかなか大変だ。久々に感動を覚えながら、小雨のなか家路についた。  

 それから一週間ほどたった先日、図書館へ行きがてら、また川をのぞいた。すると、暗渠の近くに親子連れが見えた。雛はもうムクドリ大に成長している。ところが、どう見ても雛が3羽しかいない。たった数日間で、こんなに減ってしまったのだろうか。敵はカラスか猫か、スッポンか。それとも、川の水がひどく濁っているせいか。自然の厳しさを思い知らされ、暗澹とした思いで図書館へ向かった。  

 考えてみれば、人間だって少し前まで同じような状況だった。バッハは20人の子供のうち10人を幼少時に、1人を成人してから亡くしているし、私の親や祖父母の世代でも、子供の死は珍しいことではなかった。それどころか、アフリカやインドなどでは、いまも同じような状況にある。次々に子を産んで育て、その多くを亡くす母親の負担は、肉体的にも精神的にも、想像もつかないほどのものだろう。  

 だからこそいまは産児制限をし、少なく産んで確実に育てるわけだが、それが中国の一人っ子政策のように、国からの規制というかたちになれば、どうしても弊害がでるだろう。一人っ子と大勢の兄弟に囲まれて育った子とでは、性格に大きな違いがでる。いまの30歳くらいまでの中国人の多くは一人っ子らしいが、そういったことが最近の中国の寛容のなさと関係していないだろうか。さすがの中国政府も、すでにこの規制を緩和しはじめているようだが、人間の知恵などしょせん自然の力には勝てないのだから、不自然な決まりはつくらないほうがいい。人工中絶の是非を含め、生殖に関する問題はとくに、法律でやたらと規制するのではなく、人びとの理性と道徳に訴えて各人に判断させながら、周囲の環境に合わせて徐々に適切な方向へもっていくほうが、結果的にいい方向にいくに違いない。  

 図書館からの帰り道、もう一度、川に立ち寄った。カルガモ親子は高さ50センチほどの堰の上で餌を漁っていた。しかも、よく見ると、母親のまわりに雛が9羽ちゃんとそろっているではないか! さっきは暗渠の下にでもいたのかもしれない。見ているうちに、1羽が堰から落ちてしまった。どうするのだろう、と案じていたら、なんとも滑稽な格好で苔のついた急斜をするすると這いあがった。数日間でこんなに成長したのか。この川に9羽もカルガモが増えたら大変だと思いつつ、滑っては登る雛たちをしばし見入ってしまった。

 イラスト: 東郷なりさ

2005年4月30日土曜日

反日デモ

 さわやかな季節になったので、アウトドアの楽しい話題でも書ければよいのだけれど、やはりこのところずっと心に引っかかっていたことを書こうと思う。中国や韓国の反日デモのことだ。じつは何を隠そう、私はまだどちらの国も行ったことがない。中国人にも韓国人にも親しい友人がいないので、私が知っている両国のことは、書物、報道、映画やテレビを通じて知った間接的な知識と、旅行会社にいたころ出会った人たちのことくらいしかない。あのころ、韓国人の団体客はよくホテルのロビーの床に座りこんでいたし、一緒に「カンペイ」した黒龍江省からの訪問団はまだ人民服を着ていた。 

 ここ20年ほどのあいだに、どちらの国も様変わりしたようだ。アメリカやイギリスの大学は、中国人、韓国人をはじめ、アジアの留学生でいっぱいらしい。韓国ドラマにもよくアメリカ帰りの颯爽としたヒーローが登場する。その一方で、かならずと言っていいほど貧乏な人が描かれているのは興味深い。どん底から這いあがって成功する話が、国民の心に強く訴えるということは、韓国がまだまだ成長している社会である証拠だ。いまの日本の若者には、努力して何がなんでも成功しようとする気迫は、あまり感じられない。 

 しかし、国が急成長をとげているときは、かならずその歪がでてくる。貧富の差が拡大し、社会不安が増して、エネルギー需要も急増するなど、韓国も中国も戸惑うほどの問題に直面しているのだろう。これまでさまざまなかたちで踏みにじられてきた人たちの長年の不満が、一気に爆発することもある。今回の一連の事件は、そうしたストレスのはけ口として、国民共通の宿敵とも言える日本が選ばれた結果だったのだったという気がする。日本がかつて大東亜共栄圏なるものを掲げて、侵略戦争に乗りだしたのも、もとは急激な経済成長の結果、狭い島国だけではとても存続できないという危機感からだった。国が急成長しているときは、かつての日本と同様に、どんなばかげた行為にでるかわからない。韓国や中国だけでなく、近隣諸国がみな厄介な時期に達しつつあることを考えれば、その感情を逆なでするような言動は、絶対に慎むべきだ。 

 中国や韓国は、確かにエネルギーや領土問題だけでなく、経済活動のいろいろな面で、戦後の日本が享受してきた地位を脅かしはじめているかもしれない。でも、考えてみれば、現在の日本の豊かさは、その陰で安い工賃で働き、自転車をこいでいる中国人によって支えられているのかもしれない。彼らもいずれは車に乗り、ガソリンを消費するようになるだろう。そういう変化は、ある意味で避けられないのであって、しかも地球の資源は無限にはないのだから、おたがい妥協せざるをえないのだと私は思う。 

 私は反日とか、嫌中といった考え方そのものが好きになれない。どの国にも、善人もいれば悪人もいる。戦争中だって、日本人のすべてが中国人や韓国人に残虐行為をはたらいたわけではないし、相手から見れば悪魔のように見えた日本兵だって、その多くは善良な市民で、国の存続を賭けて戦っていると信じ込んでいたのだ。ちょうどいま、愛国無罪と叫びながら日本の領事館に投石する中国の若者のように。もちろん、反日デモに加わった数万人の中国人や中国政府の言動から、13億の中国人すべての心中を推し量ることもできない。敗戦後、一様に犯罪者扱いされた日本兵の鬱積した心理が、その子孫を靖国参拝のような意固地とも思える行為に駆り立てているのだろう。 

 自分たちの生活を守ろう、権利を主張しようとする気持ちは誰でももっている。地球の資源には限りがあるのに、すでにそれを手に入れた人は、決してそれを他人と分かち合おうとはしない。人口が急増し、国力が増してくれば不満は高まり、ナショナリズムの大義名分を立てて武力行使にでる。人間はそういった衝突を繰り返してきたのだ。おたがいにもっと相手を理解し、言い分を認め、既得の権利を分かち合う気持ちをもたないかぎり、人間は愚かな戦争を繰り返すことになる。たとえいまある物質的な豊かさが減っても、その分、心が豊かになれば、それでいいじゃないか、と私は思うのだが。

2005年3月31日木曜日

自分の好きなこと

 まわりに思春期の子が多いせいか、このところ子供の生活態度や進路に関する悩みごとや愚痴をよく聞く。その多くは、親の勧める道と、子供の進みたい方向が異なるといった具体的な争いではなく、子供はとにかく親からあれこれ言われ、進路を押しつけられるのが嫌で、かといって自分が何をしたいのかもわからず、いらだっているという状態のようだ。自分はこれが好き、と言えるものがなく、とりあえずいま流行していることを、友達に合わせてやっているタイプに、特にこうした傾向が強い。  

 日ごろ、そうした悩みに接しているだけに、先日読んだ木田元さんの『新人生論ノート』に次のような一節を見つけたときには、うれしかった。ここに引用させてもらうと、「本当に好きなものを見つけること、自分がいったいなにが好きなのか見きわめることは結構むずかしい。いや、そのまえになにかを好きになる能力、なにかに夢中になれる能力をつちかう必要がある。なにかを好きになるというのは、訓練して養わなければならない一つの能力なのである」。また、こうも言っている。「本当に好きになれるもの、本当に夢中になれるものを探すがいい。そうすれば、人生をいまよりももっと深く豊かに生きることができるようになる」  

 いざ、進路を選ばなければならない段になって、突然、自分の好きなものを探しても、なかなか見つかるものではない。だから、本当は子供がごく小さいうちから、親があまり干渉せずに、テレビやゲームのように刺激の強すぎるものもなるべく与えず、子供がもて余した時間に自分で見つけたことをそのままつづけさせるのがいいのだろう。とはいえ、時間は逆戻りできないから、すでに成長してしまった子は、いま少しでも関心のあることを、とことん突き詰めていけばいい。お菓子づくりだって化粧だって、ロックだって絵を描くことだって、一見、将来あまり役立ちそうにないことも、その道をきわめれば何かしら得るものがあるはずだ。  

 最終的に好きな道へは進まず、無難な就職先を見つけたとしても、余暇に本業と同じくらい専門的に打ち込めるものがあれば、それはそれで楽しいはずだ。少しくらい回り道をしたってかまわない。建築家の丹下健三さんを偲ぶ記事に、一時期、文学や哲学に没頭したために、二年間浪人しなければならなかったが、「この時代に読んだり考えたりしたことが目に見えぬところで大いに役立った」(丹下健三、『私の履歴書』)という一文が紹介されていた。  

 親が好ましいと思う進路を、最短距離で進ませれば、子供は早くゴールに到達するだろう。でも、そういう子は、目的に達したとたん、自分を見失わないだろうか。はたしてこれが自分の望んでいた道だったのか、と。自分の道を模索しながらあちこちめぐってきた人は、スタートラインに立つのは遅くても、幅広い視野をもっているから、いわゆる専門ばかよりも成功するかもしれない。いや、たとえ出世しなくても、自分なりの人生を送れるのだから、それでいいのではないか。結局、社会的に成功することよりも、充実した人生を生きているかどうかが肝心なのだから。こうした根本的な問題を考えないまま、学力の低下を理由に、早くもゆとり教育の見直しが叫ばれている現実が悲しい。

『新人生論ノート』木田 元著(集英社新書)

2005年2月28日月曜日

「舶来」の日用品

 先日、スーパーで魚を買おうと思ったら、どれもこれもあまりにも高いので、仕方なく干物売り場へ行ってシシャモを買うことにした。樺太シシャモと書かれたパッケージが2種類あり、片方には太めの魚が6匹並んでいた。もう一方には細めの魚が2段重ねで20匹近く詰まっているのに、なぜか値段は同じだった。どうしてこんなに値段が違うのか、あれこれ理由を想像したが、結局、たくさん詰まっているほうを買った。家に帰ってからよく見ると、ノルウェー産、原産国タイと書かれていた。これではいったい樺太なのか、ノルウェーなのか、タイなのか、さっぱりわからない。 そこで、「樺太シシャモ」をネットで検索してみたら、あれはカペリンという魚で、シシャモとは別物、本物のシシャモは北海道でしかとれない、云々と書かれたページがいくつもでてきた。ということは、私が食べたのは、ノルウェーでとれたカペリンをタイで干物にし、それを日本へ輸出したものだったらしい。  

 以前にも、こんなふうにキツネにつままれた気分になったことがある。通販でフィンランド製パイン材のテーブルを注文したら、ベトナムから荷物が届いたのだ。この場合は察するに、フィンランドの木材をベトナムで加工し、それをさらに日本に輸送したのだろう。それだけ地球をめぐってやってきたテーブルが、日本国内の木材を使って、日本で加工したものよりはるかに安いことが、なんとも信じられなかった。  

 そして昨日、また新たな驚きがあった。インターネットで見つけたプリントショップにはがきの印刷を頼んだところ、どうやらベルギーで印刷されて、送られてきたらしいのだ。宛名のシールに小さい字で送り主が書いてあるだけなので、よく見なければ気づかないところだった。近所にも小さい印刷所があるけれど、インターネットを使えば、家から一歩もでずに注文から支払いまで完了し、できあがったものも届けてもらえる。その手軽さと安さにつられたのだ。それにしても、はるばるベルギーからやってくるとは!  

 ここ10年ほどの情報、流通の大革命は、人間の生活を根本的に変えてしまったのだと、いまあらためて思う。以前は、人間の生活は物理的な空間に大きく制限されていたが、いまでは自分の嗜好や値段しだいで、地球のさまざまな地域と複雑にかかわり合うようになった。それは一概にいいとも悪いとも言えないが、良質で安いものは売れるという原則が、地理的な制約を次々に取っ払っていくのは、どことなく恐ろしい。国内産業の空洞化もさることながら、こうしたことすべてが可能になっている陰に、膨大なエネルギーを消費して何千キロメートルも物資を運んでいる現実があるからだ。また、安い値段が、人件費の安い国に生産拠点を移すことで実現されているのなら、いずれはその格差が地球規模で縮まっていくのではないかと思われるからだ。  

 頭ではそうした現実に不安を覚え、社会の行く末を案じながらも、いざ目の前に、見たところ質の変わらない安いものがあれば、ついそちらに手が伸びてしまうのは私ばかりでないだろう。また、なんでも簡単に手に入る生活をいったん知れば、後戻りは難しい。こうして、異国情緒豊かでもなければ、高級でもない、「舶来」の日用品に囲まれて暮らしているうちに、いつのまにかごく平均的な世界市民ができあがるのかもしれない。