2021年1月19日火曜日

コウノトリかタンチョウか

 少し前から、知人のSNSで見たらしく、娘がコウノトリの形のハサミを欲しがっていた。とくに珍しいものでないことは知っていたが、私はなぜか中国に昔からある鶴形ハサミなのだと思い込んでいた。デザインがいかにも東洋的だからだ。だが、あれこれ調べるうちに、どうやらヨーロッパが本場で、ドイツのゾーリンゲンのものが有名だということがわかった。しかも、もともと18世紀に助産師が使う鉗子、もしくは臍の緒を切るハサミとしてつくられたようなのだ。古いものには、ハサミを開くと留め具の下あたりにクルミの殻に入った赤ん坊が現われる凝ったデザインのものまであった。握りの下には、多産のシンボルである亀が付いている。助産師が使う安産祈願も兼ねたような道具が、いつしか女性のための裁縫道具に変わったというのが、大方の見解のようだった。

 18世紀というと、東西の往来が盛んになった時代なので、鶴と亀をかたどった中国の高級工芸品にヒントを得て、ヨーロッパの金属加工が盛んな地域がコウノトリに変えた可能性が皆無とは言えない。だが、中国のハサミの老舗とされる杭州市の張小泉なども、現在こそ似たような鳥のデザインのハサミを製造しているが、19世紀以前の作品はざっと検索した限りでは見つからなかった。となると、このハサミは「コウノトリ形ハサミ」と呼ぶべきなのだろう。  

 ついでにハサミそのものの歴史もウィキペディアで読んでみた。最初のハサミは、紀元前10世紀ごろに古代ギリシャで羊毛の収穫をするためにU字形のギリシャ型ハサミとして登場したのだという。これがはるばる日本までおそらく古墳時代に伝わったのが握り鋏なのだ。このタイプのハサミがいまなお広く使われているのは、日本だけというから驚きだ。私は糸切りにはもっぱら、小学校の裁縫道具セットに入っていた握り鋏を使う。2枚の金属板をX字形に鋲で留めるローマ型のハサミが日本で広まったのは、明治以降なのだそうだ。ちなみに中国では13世紀になるとギリシャ型のハサミはつくられなくなったという。  

 そんなことをやたらに検索していたのをAIに察知されたのか、先日、ヤフオクが終了間近の「ゾーリンゲン製、高級手作り爪切り、ハサミ、ドイツ、アンティーク、鳥、ゴールド」などと書かれた商品の宣伝を送りつけてきた。どう見ても、私が何日か前に検索していた高額の裁縫用ハサミなのだが、出品者が爪切りと勘違いしたせいか、若干の入札者はいたものの低価格のまま推移し、嬉しい値段でめでたく落札することができた。出品者はツルかコウノトリか迷うこともなく、ただ「鳥」としていたが、同様の商品を「コウノトリ鶴型はさみ」などと書いているサイトも多々あった。届いてみると、想像以上に小さく繊細なハサミだった。私は30年くらい前に姉からやはりドイツ土産でヘンケルスの似たような裁縫バサミをもらい、いまも愛用している。こちらは十字架付きだ。金と銀の組み合わせは、大英博物館の『100のモノが語る世界の歴史』にでてきたホクスンの銀製胡椒入れや、シャープール2世の絵皿以来の金属加工の伝統を思わせる。これらのハサミがただの道具以上の意味合いをもってきた証だろう。

 ハサミの起源がツルかコウノトリかで、私がやたらにこだわって調べたのは、以前にチャールズ・ワーグマンの『ジャパン・パンチ』の表紙の鳥が、その2種のいずれかで悩んだことがあるからだ。一見するとタンチョウなのだが、よく見ると頭が白いし、喉にも黒い筋がない。パンチの守さまの横に、2羽のツルではなく、コウノトリという構図は、どうも腑に落ちなかったが、見れば見るほど表紙の鳥はコウノトリのようだった。

 ところが、たまたま調べ物で全集をパラパラとめくっていた際に、1867年1月号に鶴かコウノトリか不明の件の鳥が、鷲と向かい合い、その下にそれぞれ日本人らしき人物(M・I)と西洋人(P&O)が描かれたイラストがあることに気づいたのだ。これが何を意味していたのは不明だが、左側のページをちらりと読むとワーグマンのこんな文章が書かれていた。  

「かつてはこの国特有で独自のものだったすべてが 
どんどん急速に消えてゆく。
蒸気や歯車の唸り音や、 
加工しにくい硬い金属を打ちだすハンマーが 
いまや偉大な富士山の麓の沼地一帯で聞こえる。 
かつてはこの国の聖なるツルが唯一のクレーンだった場所で。 
じきに龍のごとき巨大なエンジンの忌まわしい騒音が 
江戸と横浜を縫うように東海道沿いをシュッシュと進むだろう」  

 ということは、頭頂部と首筋の白いこの鳥を、ワーグマンは結局のところタンチョウのつもりで描いていたのかもしれない。イギリスにはツルは生息しなくなって久しく、大陸ヨーロッパと違ってコウノトリは飛来しない。つまり、ワーグマンはどちらの鳥もよく知らず、横浜の湿地で見かけたコウノトリを日本の絵画や工芸品に描かれてきたタンチョウと勘違いしていたのかもしれない。幕末の横浜にトキやガンなどの水鳥がいたことは確かだし、ツルを撃ち殺したとして逮捕されたらしい外国人もいたのだが、それらも本当にツルだったのか。  

 安藤広重なども江戸のタンチョウを描いているので、関東をはじめ、日本全国に広くいたという説がある一方で、実際にはそのほとんどはコウノトリだったという説もあることを今回初めて知った。とりわけ松の木に鶴という図柄は怪しいのだそうだ。コウノトリは松の樹上に営巣するが、鶴は木に止まらない。そうなると、花札の「松に鶴」も、松上鶴と題された数多くの名画も、画家がコウノトリを観察して描いたか、ただ頭のなかでめでたい図柄を組み合わせたことになる。鶴と松の組み合わせが平安時代から松喰鶴という、松の小枝をくわえた鶴の図柄で多数描かれていたことは、やはり大英博物館の本にでてきた日本の銅鏡で知ったが、これが正倉院の宝物にあるペルシャ起源の花喰鳥と花綱の文様から発展したものであることは、のちになって気づいた。木に止まれない鶴が、松の小枝をくわえる可能性はまずないだろうが、縁起を担ぐ人には、そんなことはどうでもいいわけだ。  

 コウノトリのハサミは先ほど無事に娘の手元に渡った。昨年、フランスの出版社から刊行されたOiseaux - Des alliés à protégerという科学絵本では、娘はゴミをあさるシュバシコウ、つまりハサミのモチーフとなったヨーロッパのコウノトリの印象的なイラストを描いた。えらく苦労した仕事だったのに、ろくに打ち上げもできなかったので、ハサミはそのお祝いということにしよう。

 中央が、今回入手したコウノトリのハサミ

復刻版『ジャパン・パンチ』第2巻、雄松堂書店より

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