2021年11月14日日曜日

七五三

 10月に早めに済ませる予定が、天候その他の事情で延び延びになって、先日ようやく孫の3歳の七五三のお祝いをすることができた。この子が育った3年間は、その大半がコロナ禍に見舞われ、最初のうちは公園の遊具に触れることすらできない日々がつづいた。この3年間に親族や親しい人が何人も鬼籍に入ったし、施設に入所した人もいた。そんななか、ほぼ毎週、電車を乗り継いで横浜まで通ってきては子守をしてくれた老母が、無事にひ孫の晴れ姿を見ることができたのは何よりも嬉しかった。  

 この日、孫が着た濃いオレンジ色の着物は、年の離れた私のいとこたちが着たもので、私の娘も、姪たちも、それぞれ3歳の七五三をこの着物でお祝いをした。娘と姪っ子たちは体格がまるで違い、3歳にして10cmも身長差があったので、同じ着物姿の写真を見比べては、袖や被布の下から覗く着物の長さの違いを見てよく笑ったものだった。今回、叔父夫婦に頼んでいとこたちの古い写真を探しだして送ってもらったところ、全員の写真を娘が上手に並べてくれた。それぞれに違うけれど、同じ晴れ着姿の童女が6人も勢ぞろいして、何とも楽しい写真ができあがった。  

 最初の持ち主だったいとこは、赤っぽい着物とオレンジの着物のどちらがよいか聞かれたらしく、「自分が好きなものを選んだ!」という満足感とともに、この着物を買ってもらった3歳当時のことを、いまもよく覚えているそうだ。しかも、どうやら購入先は別の叔父が勤めていた大丸だったようなのだ。大丸はもともと大阪の呉服屋から始まった会社で、私にとっては大丸とのかかわりは二重に意味があった。  

 私の高祖父、門倉伝次郎が師事した佐久間象山は、吉田松陰の下田踏海事件に連座して8年間、松代で蟄居したのちに、元治元(1864)年春に一橋慶喜に招かれ、京都入りした。赴任先から妻のお順(勝海舟の妹)に宛てた手紙に「此地にて大丸店にて袴羽織肩衣用意致し候」ところ、30両もかかって肝をつぶしたと書き送っていたのだ。象山はこの手紙からわずか数カ月後に、尊王攘夷派テロリストに暗殺されてしまうのだが、明治の錦絵に描かれたように、洋装で西洋馬具を付けた白馬にまたがっていたわけではなく、「黒もじ肩衣、萌黄五泉平乗馬袴、騎射笠、めりやす、黒塗鞭、黒塗沓、西洋馬具」といういでたちだった。その着物が大丸で誂えたものかどうかは不明だが、可能性はあるのではないか。乗馬も都路という名の栗毛馬だった。

 一方、高祖父が仕えた上田藩主、松平忠優(のちに忠固)は、若くして正室を亡くしたのちに大坂城代を務め、産物会所をつくって上田の産品である紬織物「城代縞」の販路を開拓していたころに、おとしという側室を迎えた。おとしは少なくとも2男2女を産み、息子の1人が上田藩の最後の藩主、忠礼となった。そのおとしの出自については、上田藩士の娘という説と「呉服屋大丸の裁縫を引受る職人の娘」(『上田縞絲之筋書』)の2説あり、諸々の状況から後者の説に分があると私は見ている。ちなみに松平忠固は、日米和親条約と日米修好通商条約に老中としてかかわり、開国を断行した当人と言うべき人だ。  

 長年、大丸に勤めた叔父は、こうした経緯を何も知らないまま定年退職後まもなく難病を患い、苦しい闘病のあと他界した。祖先について調べた際に、2度も大丸の呉服に関する記述を目にし、そのたびに何かしら不思議な縁を感じていた。今回、その伝次郎の子孫たちが40年以上にわたって代わる代わる着てきた晴れ着が、大丸で購入したものだったと知り、亡叔父に伝える意味でも、どうしてもブログに書き留めておきたくなった。  

 七五三の準備をするために、姉が保管してくれていた着物をもらい受けに行ったところ、共布の巾着と、娘たちが付けたリボンが見当たらなかった。どうせなら、ゆらゆら揺れる「下がり」の付いた髪飾りにしたいし、10月なら色もオレンジの金木犀がいいと思って探したが、これぞと思うものがない。作り方サイトや動画などを見ると、つまみ細工は簡単そうに見えた。 

「下がり」にこだわったのは、以前に鮮卑の歩揺という飾りについて調べたことがあったためだ。本来は薄い金属片でできた飾りで、歩くと揺れて光るだけでなく、おそらくチリチリと金属音もしたのではないかと思う。歩揺に興味をもったのは、うちにある昭和初めのお雛様が、そんな垂飾の付いた冠をかぶっていたからだ。金属音を立てるという意味では、埴輪の馬が着ける馬鈴も、チャグチャグ馬コの鈴も、魔除けか、神への呼びかけか知らないが、何かしら意味があったはずだ。つまみの「下がり」では音が鳴らないので、昔買ったタイの山岳民族の刺繍入りのシャツについていた鈴も付けてみた。  

 ところが、予定以上に苦労してできあがった髪飾りを見せると、孫は顔を曇らせ、「オネンジはヤなの。青が好きなの」と、切々と訴えるのだ。どういう青がいいのかと聞くと、近所の果樹園のネットや、近所のスーパーBig Aの看板の、いかにも人工的な青がいいと言う。着物の濃いオレンジとはどう考えても合わないが、着る本人の希望を少しでも叶えようと、家にあったそれに近い色のリボンで大きめの花をこしらえ、お団子に結った髪に留めてやった。  

 当日の朝は、逃げ回る孫をなだめすかして椅子に座らせ、娘が慣れない手つきで髪を結うあいだ、可能な限り頭を動かさないように、あの手この手で釣り、何とか着物も着せて近所の神社に連れだした。11月に入ってさすがに金木犀の最後の花も散ったあとだったが、常緑樹や針葉樹の多い深緑の境内のなかでは、鮮やかなオレンジの着物がじつによく映えて、ちょこまか動く小柄な孫は、茶運び人形のようで何とも愛らしかった。この先、どんな世の中になるのか見当がつかないが、たくさんの人の思いを受け継いで、ちゃんとばあさんになるまで無事に生きてくれるようにと祈った。

同じ着物を着た代々の子供たち

老眼を酷使してつくった髪飾り。楽天ポイントを使ってほぼ無料でちりめん生地を10cmずつ買い、手持ちのビーズと合わせ、100均のコームに付けたので、制作費は300円以下!

孫の心を捉えているらしい近所のスーパーの看板

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