2020年10月11日日曜日

追補その6:谷中墓地と本郷弓町

 1年以上前から、確かめに行かねばと思いながら、本業があまりにも忙しくでかけられずにいた。ようやく仕事も一段落したので、多少小雨もぱらついていたが、昨日は思い切って都内の各地を歩き回ってきた。

 優先順位の高い場所の1つは谷中墓地だった。ネット上に墓マイラーの方々があれこれ有益な情報を載せてくださっているので、松平忠固の娘で、須坂藩主の堀直虎に嫁ぎ、夫の死後、実業家で、のちに政治家にも転身した中澤彦吉と再婚した俊(しゅん)姫の墓があり、墓碑にいろいろ刻まれていることは知っていた。墓碑銘が松平俊子となっていることがずっと気になっていたと、以前にご子孫の方が話しておられたので、いつか訪ねようと思っていた場所だ。

 墓所には夫婦それぞれの巨大な墓碑が並び、その一方に松平俊子と大書されていた。側面にはおそらくこう彫られている。「諱俊子松平氏考曰忠固三女妣井上氏/弘化四年十一月十六日生明治七年七月/嫁中澤彦吉産男二女一明治十六年四月/二十七日罹病而歿享年三十有七歳葬于/東京谷中公塋内」。俊子は1864年に16歳で須坂藩に嫁ぎ、1868年に最初の夫と死別後、1874年に26歳で再婚し、実際には35歳で幼い子供3人を残して亡くなったようだ。時代に翻弄された俊姫が短い人生の終わりに、自分は松平の人間なのだと夫婦別姓を主張し、それを夫が受け入れたのだろうか。

 私がこの墓碑で知りたかったのは、最初の1文だ。忠固は正室を早くに亡くし、子供はいずれも側室の子なのだが、上田に残る史料には食い違いがあった。いろいろ照らし合わせた結果、娘2人と最後の藩主の忠礼と末弟の忠孝の母としは、忠固が大坂城代だった時期に、「呉服問屋大丸の裁縫を引受くる職人の娘なりという」という説に分があると私は判断していた。もう一方の説は、上田藩士の井上氏の娘というものなのだが、家臣には井上家は一軒しかなく、その家の息子と思われる人物が「般若面」の「アバレ野郎」だと書かれていたからだ。俊子の写真は少なくとも3枚は残っており、忠礼とよく似た細面の美人であり、母としと思われる女性もほっそりしたきれいな人だった。ところが、この墓石に「井上氏」とあるのだ。「井上説」の根拠となっていた松野喜太郎氏の一連の記事は昭和初めのもので、おそらくこの墓標を確認して書かれたのだろう。ただしよく読むと、「松平氏考曰」となっており、「妣」に見える字が確かにそうであれば、母としもこの時分には故人となり、妻に先立たれた中澤彦吉氏は、「松平氏考」に頼らざるをえなかったのかもしれない。
 










 中澤彦吉夫妻の墓、谷中墓地(甲3号7側)

 墓地のこの区画には、もう一基「及川松野之墓」と書かれた墓碑があった。側面の碑文は薄れかけていてよく読めないが、「故上田藩士笈川玖太女」であることや、「姆」の字が読め、俊子の死後、「婦人悲傷[……]遂得病明治十七年四月十三日歿年六十有七」と書かれているので、俊子の乳母ではないかと思う。上田藩士には笈川久太という名前が見つかるが、その娘だとすると年齢が合わない。その妻だろうか。俊姫が大坂で生まれたときから側で仕え、おそらくは須坂藩にもついてゆき、最愛の姫の急死後は生きる気力を失ったに違いない。内田九一撮影の一家の写真の右端で床に正座している人だろうか。中澤氏のほうは、衆議院議員31年、並行して京橋区会議長40年、銀行重役などを務め、明治の大立者の1人として1912年まで長生きしたようだ。













 及川松野の墓  


 谷中に行く前に、本郷の弓町にも寄ってきた。岩下哲典先生の「研究ノート 尾張徳川家の江戸屋敷・東京邸とその写真」(『金鯱叢書』第21輯)から、ここにあった上田藩の中屋敷がもともと唐津藩の中屋敷だったことを知ったおかげで、ネット情報から正確な場所が簡単にわかったからだ。この跡地には、1886年から日本基督教団の弓町本郷教会があり、現在の建物は1920年代のものとのこと。創設者の海老名弾正は横井小楠の娘と結婚した熊本バンドの一員だった。上田藩にもキリスト関係者が多いので、何らかの関係があるかもしれない。唐津藩時代は春日通りにいたるまでの広い敷地だったが、上田の最後の藩主忠礼時代の中屋敷は、現在の教会とほぼ同面積だったと思われる。忠固が失脚して西の丸下の役宅を追われた上田藩に瓦町藩邸しかなくなって、さすがに気の毒だと思われたのだろうか。この土地は長らく唐津藩のものだったらしく、前の細道は「壱岐殿坂」と呼ばれていた。教会の斜向かいには、そうした歴史の一部始終を見ていたような文京区一というクスの古木が、いまなお若い枝をあちこちから伸ばして立っていた。









 弓町本郷教会









 地上1.5mの幹廻りが8.5というクスノキ

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