2024年4月9日火曜日

『江戸の憲法構想』

 このところずっと多忙で、読書時間は本当に細切れにしか取れない。そんな状態で読むにはかなり手強い本だったが、関良基先生の新著『江戸の憲法構想:日本近代史の“イフ”』(作品社)に目を通してみた。2016年の『赤松小三郎と明治維新』で書き切れなかった大きな問題に再び挑まれたような作品で、それをありがたくも献本して下さったためだ。 

 関先生は前著で薩土盟約とアーネスト・サトウに関連した鋭い分析をされており、拙著『埋もれた歴史』で引用させていただいたことがあった。今回の本では、一章を割いてサトウと長崎のイギリス商人グラバーがはたした役割を分析されている。そこで詳細に論じられるサトウの『英国策論』は、薩摩藩の松木弘安がイギリス側に出した「松木提案」とともに私も大いに興味をいだいた問題で、実際、拙著の原稿段階では「イギリスと薩長」と題した章を書いていたほどだった。かなり調べたあとで、当時の私の手には余ると判断し、「老後の楽しみ」に回してしまっていた。「サトウやグラバーの肩入れによって、薩長の武力討幕派が勝利したことによって、日本は大英帝国の極東の駒として、その世界戦略に組み入れられていくことになるのである」という関先生の言葉は、この歴史の大転換の実態を理解するうえで、非常に重要なことだ。薩土盟約の破棄と並行して起こった赤松小三郎の暗殺の真相についても、本書は説得力のある説をあげている。 

 この数年、幕末史の研究に片足を突っ込んでいるとはいえ、私は祖先の足跡をたどるまで日本史にはまるで興味がなかったので、本書で取り上げられている日本の史学者による歴史書は、恥ずかしながらいずれも未読だった。そのため、本書で多角的に論じられる「講座派」のマルクス主義の学者たちがおよぼした弊害については、これらの学説の来歴を概説する補論を読んでも、おおよそしか理解できなかった。尾佐竹猛の著作は、かろうじて生麦事件に関するものだけは読んだことはあったが、彼が講座派に対抗して憲政史研究をした人であることは、ついぞ知らなかった。講座派の影響を受けたという丸山眞男の著作も、本書で取り上げられている佐久間象山に課する講演録だけ、どうにか読んでいた程度だ。ちなみに、この講演録で丸山眞男が、過去の思想を現在の視点から気安く批判してはいけないと、プレゼンティズム(現代主義)にたいする牽制をしていたことは強く印象に残り、拙著でも引用している。丸山は松代藩士の子孫であるにもかかわらず、象山を公平な視点から見ていると思ったものだが、本書は丸山が結果的に「右派史観復活の後押しをした」と手厳しい。 

 サトウの『一外交官の見た明治維新』が講談社から新訳で出ていることも、本書で初めて知った。そのなかで訳者が、サトウが土佐の山内容堂と後藤象二郎と会談したあと、彼らの心底には明らかに、イギリスの憲法に似たものを制定しようという考えが深く根をおろしていた」という箇所を、「憲法」と訳さずに「コンスティテューション」とカナ書きし、「国家体系」といった意味の可能性があると注記している点に関先生は疑問を投げかけている。この当時、土佐藩側が何かしらの成文の法典を想定していたことは疑いないが、一方のサトウの頭のなかで「コンスティテューション」が何を意味していたかは、さほど定かではない。少なくとも、イギリスにはこの時代もいまも成文憲法は存在しない。ウィキペディアからざっと拾った限りだが、当時、成文憲法があったのは、アメリカ(1788年)、フランス(1791、1848年)、オランダ(1815、1848年)、ウルグアイ(1830年)、ベルギー(1831年)、プロイセン(1848年)、デンマーク(1849年)くらいしかない。翻訳者はその点を考慮したのではないだろうか。 

 独立当初のアメリカのように、文化的にも異なるさまざまな国からの移民で構成された共同体を、世襲制の国王のような存在なしに一つの国としてまとめるには、共通の理念や規則を定め、構成員の権利と義務を明確にし、それを書き留めておく必要があった。書き留められた結果だけが「憲法」ではなく、定めた「国家体系」そのものが重要だったのだろう。 

 幕末の危機は、帝国主義の列強が極東にまで進出してきたことによって引き起こされたものだ。その外敵を前に、為政者として何よりも避けたい事態は国内の分裂だった。「分割して統治」するのはイギリスが植民地を支配するうえでの常套手段であり、インドがそれによって手痛い目に遭ったことは、「鎖国」下の日本にも漏れ聞こえていたはずだし、アヘン戦争で中国がこうむった打撃は、海外事情に通じていた人には間違いなく大きな衝撃となった。徳川家の求心力が薄れ、朝廷を担ぎ上げる勢力が台頭するなかで、国内を一つにまとめる手段が必要となり、その一つが議会論であり、憲法構想だったのだろうが、もう一つは雄藩が離反しないよう将軍に代わって天皇を国家元首として担ぎ上げることだった。要するにナショナル・アイデンティティの創出、国民形成が必要だったのであり、それに関しては、国学者や水戸藩、藤田東湖らと交流のあった佐久間象山が、最も早くからナショナリズムを醸成する必要を認識していた人だった。 

「江戸の憲法構想」にかかわった山本覚馬と津田真道はともに象山弟子であり、赤松も象山と交流があったことが知られる。憲法を構想するということは、彼らが日本という国家単位で物事を考えていた証左であり、そう意味でのナショナリズムや、新たに国家体系をつくる必要性に迫られた背景に、もう少しページが割れていたらよかったかなと思った。ついでに言えば、本書で言及されている加藤弘之も象山弟子で、若いころ攘夷感情の強かった加藤を象山が諭したエピソードが知られている。 

 やはり本書で分析されている松平乗謨は、これまで私のよく知らなかった人物だが、信州佐久の田野口藩主で、母親が松平乗全の娘となると、少なくとも何かしら上田藩との関連はありそうだ。松平乗全は、上田の松平忠固と老中をともに務めた仲だからだ。 

 日本のマルクス主義史学者がどういう説を唱えてきたかを知らない私が言うのも何だが、マルクスの唯物史観そのものは、長年、考古学や人類学、生物学の分野から世界の歴史を見てきた私には、しごくまっとうな考え方に思える。本書で引用されている『経済学批判』の序文は、私も『エンゲルス』(トリストラム・ハント著、筑摩書房)で翻訳したことがあり、「人びとの存在を決定するのは、人間の意識ではなく、その逆に、社会的に存在していることが彼らの意識を決定するのである」と訳した。関先生の「バタフライ史観」は、人間の自由意志からバタフライ効果が生まれ、それが歴史を変えてきたという主張のようだが、これには全面的に賛成はできない。私たちが「自由意志」だと思っていることも、自分が置かれた状況や時代、親から受け継いだ遺伝や教育、経済状態に大きく左右されるからだ。 

 ハントは同じ箇所で、マルクスらが「英雄史観」を切り捨てた経緯にも言及している。何の脈絡もなく天才は生まれないし、その天才が活躍できたとすれば、それは時の運によるのだと私は思う。よって、歴史を知るにはやはりその背景となる社会を見る必要があり、定量化して把握しやすい生産手段や生産関係にマルクスが着目したことは間違っていなかっただろう。たまたまヒトとしての生物学的な制約が歴史をどう変えてきたか、という内容の本を翻訳中であり、参考文献として昨夜読んでいたE・O・ウィルソンも、「自由意志は、結局のところ生物的であるように思える」と書いていたので、思わず夜中に付箋を探した。 

 晩年にエンゲルスが、「マルクスの全体的な考え方は、学説というよりは手法なのだ。それは出来上がった教義を提供するよりは、むしろさらなる探求を手助けし、そのような探求のための手法を与えるものなのだ」と語ったことにもハントは触れていた。昭和の初めに講座派の学者たちがマルクスの理論を曲解したとすれば、それは多分にレーニン主義を通じて教義のようにそれを受け入れたためだろうし、一部には翻訳の問題もあったと考える。民主主義の根幹となる平等の概念を考えるうえで、人の能力の差をどう扱うか、という難題にたいし、マルクスが当面は能力主義を採用し、長期目標としてはそれぞれの人が生きるのに必要なニーズに合わせるべきだと述べた重要な箇所が、これまでかなり誤解されてきたことを、『アマルティア・セン回顧録』の翻訳中に発見したこともあった。 

 私自身は憲政史をまともに調べたこともないのだが、『エンゲルス』を訳した際に、1848年のプロイセンにおける流血の三月革命を経て、国王に憲法制定を迫った経緯などは少しばかり知ることもできた。フランスに端を発した1848年の革命で、ヨーロッパ大陸のいくつかの国で憲法制定が進んだが、それによって民主主義国家になったわけではなく、幕末に憲法構想が練られていた時代には、ヨーロッパの大半の国の主権者は国王や皇帝だった。しかも、早くから民主主義国になったとされるアメリカでも、市民権は1866年まで白人男性にしか与えられておらず、黒人男性が参政権を獲得したのは1870年、女性にいたっては1920年になるまで参政権がなかった。

 つまり、『江戸の憲法構想』で取り上げられているジョゼフ・ヒコや、オランダ留学組の西周や津田真道が参考にした欧米の初期の憲法は、それ自体が多くの制約や矛盾を含むものだったわけだ。それまで人びとを束縛していた身分を撤廃した自由も平等も、実際には納税し、兵役に就いて市民としての義務をはたせる有能な白人男性に限られた話だったのであり、女性や有色人などは、その他の社会的弱者とともに考慮されていなかったのである。 

 最近、いろいろ考えてきたことと重なり合ったため、随分だらだらと辛口の評を書いてしまったが、日本史の学説に疎い一読者の、わずか一読後の読後感として、少しでも皆さんのご参考になれば幸いだ。この本には間違いなく、多方面から歴史を振り返らせるものがぎっしりと詰まっている。

 関 良基著
『江戸の憲法構想:日本近代史の“イフ”』
(作品社)

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