2025年8月1日金曜日

硫黄岳2025年

 今年も、30年もののメスナーテントを担いで1泊2日で八ヶ岳に行ってきた。このところずっと多忙だったため、山へ行くのは1年ぶりだ。毎週、娘宅まで片道30分ほどの距離を自転車で通っているとはいえ、それ以外は毎朝の短時間の体操くらいで、この数週間は原稿の見直しやら校正やらで座りつづけていたため、腰の調子も悪かった。トリプル台風の影響もあったのか、天気も絶好とは言えず、多少は降られるのを覚悟のうえで出かけた。というのも、この夏は娘の仕事などの予定がいろいろ入っており、出かけられる週末が非常に限られていたからだ。  

 孫の楽しみは、登頂すること以上にテントで寝ることにあるので、今年はオーレン小屋をテン場に選んだ。娘が小学校5年生ごろ、3人のいとこたちオーレン小屋に流れる渓流で遊んで大いに楽しんだ記憶があったためだ。 古い写真も未整理で、記憶が定かではないのだが、古い手帳に残る私の手書きの標高グラフを見ると、最初にオーレン小屋へ行ったのは娘が小学校3年の夏と思われる。美濃戸口から登って赤岩の経由でオーレン小屋でテン泊し、今回同様に夏沢峠経由で標高2760mの硫黄岳に初めて登り、そこから横岳を抜けて行者小屋に降り、阿弥陀岳を登って御小屋尾根から下山していた。おそらくまだ白灯油を入れてポンピングしてから使うかなり巨大なバーナーを使っていた時代で、私は全行程を13kgくらいの荷物を背負っての苦しい山行だった。阿弥陀岳の登りが恐ろしかったことや、下山途中で道に迷い、林業の人が使うような急坂を下ってしまい、暗い森のなかでギンリョウソウを初めて見てぎょっとしたことを覚えている。沢に出たところ、対岸を歩く登山者が見えたため浅瀬を渡り、何とか無事に帰ることができた。その前年もキレットで恐怖の体験をさせてしまったため、娘はこの親は当てにならないと思ったらしく、私が25000分の1の地図のほか唯一の頼りとしていたガイドブック『山小屋の主人がガイドする八ガ岳を歩く』(山と渓谷社、1995年五刷)を、ふりがなを振って自分で読んで勉強するようになった。  

 記憶を正してみると、オーレン小屋には桜平まで車で行けることをのちに発見し、姉一家と車2台でそこまで登ったようだ。桜平のどの駐車場に停めたのか記憶にないが、ガタゴト道の登りがうちのオンボロ車にはきつかったことだけは覚えていた。今回は娘の夫の4WDで登山ゲートまで送ってもらったので、その点は非常にお気楽だった。ただし、そこから夏沢鉱泉までの登りが恐ろしく急で、日頃の運動不足は言うにおよばず、暑いうえに標高にも慣れておらずで、身の軽い孫がすたすた先を行くのを、必死で追うはめになった。途中、かなりの水量で勢いよく流れる川と見事な苔の森を横目で眺めながらも、それを楽しむ余裕もないほどだった。  

 昼過ぎにオーレン小屋に着いた途端、土砂降りになり、コンビニのおにぎりを食べながら小屋前のパラソルの下で雨をやり過ごした。テン場には簀が敷かれていて、大雨のときなどは川が流れることもあると言われた。オーレン小屋は、雨の多い北八ヶ岳と乾燥した南八ヶ岳の中間地点にあり、近年、降水量にいくらか変化があるのかもしれない。このところ私が日本庭園の本でやたら苔庭に興味をもつようになったせいか、本当に降水量が増えているせいか、いたるところに生えている珍しいコケやシダについ目が行く。テン場付近にはウソが何度もやってきて、そのたびに作業を中断してみんなで双眼鏡を覗いた。  

 テント設営後、すぐにご飯を炊き始めたのは、17時半からテン泊者も1000円でお風呂に入れると言われていたからだったが、それが正解で、レトルトカレーを温め始めたころにはまた本降りになった。山小屋でシャワーを使わせてもらったことはあったが、お風呂は初めての経験で、興味津々でドアを開けてみたら、立派な檜風呂で、まるで温泉気分。いま検索してみたら「檜展望風呂」と呼ばれるそうで、窓を開けてみればよかったと残念に思っている。オーレン小屋は自動で水洗する清潔なトイレがたくさんあり、キャンプ場の片隅に簡易トイレが一つあるだけの青年小屋とは段違いだった。中高年のガイド付き登山グループが何組もいたのは、そのためだろう。
  
 暗くなって早々に就寝したときは、星が数個見える程度だったが、真夜中に起きてフライシートを開けてみると天の川も埋もれるくらいの満天の星空で、どれがどの星座かわからないほどだった。小屋のトイレまで行った娘と孫は途中でシカの鳴く声をたくさん聞いたそうで、そのあと3人でテントから顔だけ出してしばらく降るような星空と流星を堪能した。孫も生まれて初めて流れ星をしっかり2度見ることができた。硬い地面に、狭いテントと寝袋で身動きもままならず、私は腰が痛くてほとんど眠れなかったが、またシカが鳴いたので声をかけたのに、誰も起きなかったと娘が朝言っていたので、少しは眠っていたのかもしれない。  

 翌朝は、4時過ぎに起きて恒例のオートミールの朝食を済ませたあと、テントを残して軽装で硫黄岳を目指した。私と娘は硫黄岳に登るのはこれで4回目だったようだ。頂上付近は多少ざれているが、山頂はなだらかで広く、何と言っても展望がいい。テネリフェでピアッツィ・スマイスが雲海を「標高四〇〇〇フィート〔約一二二〇メートル〕で空中に漂う水蒸気の大平原」と表現したこと(『地球を支配する水の力』)や、木曽谷にある興禅寺に重森三玲が雲海にひらめきを得た庭を造築したことなどを思いだすと、はるか下方に見える雲海が何やら特別なものに思えた。途中、かなりの数のイワヒバリを近くで見られたのもよかった。高山植物には少し遅かったが、まだコマクサは咲いていると聞いて、硫黄岳山荘まで往復した。最近、やたら植物に詳しくなっている孫は、自分の知らない高山植物を見つけるたびに、「これ写真に撮って!」と娘に頼んでいた。  

 昼から降るという予報だったので、それまでにテントを撤収したくて早々に下山したが、とくに降られることもなく済んだ。オーレン小屋では小学生以下には500円で「登頂証明書」を出してくれるというので、御朱印のようなものかと思ってお願いしたところ、表彰式までしてくださる盛大なもので、山小屋の人たちだけでなく、周囲にいた登山客たちからも拍手してもらい、孫には忘れられない体験となった。今回、20代、30代と思われる登山客にはそれなりの数で出会ったが、中高年が大多数であることには変わりなく、子どもは2日間で2、3人しか見かけなかった。それだけ子育て世代に余裕がないのだろうか。「登頂証明書」は、次世代の登山者を増やすための山小屋の地道な試みのようだ。たとえ年に一回でも、元気なうちは登りつづけたい。

硫黄岳頂上付近

頂上の火口跡(今回は時間がなくて周囲は歩かなかった)

テント設営中

登頂証明書の授与式!

小学生だった娘がふりがなを振って勉強したガイドブックと、当時の私の手帳

滞在中のスケッチ

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