水がテーマの本だが、これまで私が訳したフェイガンの『水と人類の1万年史』やC. バーネットの『雨の自然誌』(いずれも河出書房新社)よりは、水蒸気や海流としての水であり、気候科学の歴史に近い本だ。ただし、著者は科学者でもジャーナリストでもなく、科学史を専門とする歴史学者であり、19世紀から20世紀にかけての主として6人の科学者の伝記に近い形で構成されている。気象学と海洋学に関するものが多く、もちろん数式はでてこないが、物理にめっぽう弱い私は、太陽スペクトルだの、積乱雲、海洋渦のエネルギーに関する部分はかなり苦労した。
カート・ヴォネガットの『猫のゆりかご』の背景にあった雲への種まき実験については、以前に訳したことがあったが、広島と長崎への原爆投下のあと、人間が自然に甚大な影響を与えうることが明らかになり、こうした大気圏実験が不可能になり、それがコンピューターによる模擬実験に取って代わった経緯を本書で知ると、今年になって大きく取り上げられている「黒い雨」の問題との関連を思わずにはいられない。ただし、1963年に部分的核実験禁止条約が締結されるまでに、合計で500回もの大気圏実験が行なわれたのちのことであるのを、現在取り組んでいる仕事から知った。
個々の科学者たちの苦労話や功績はそれぞれ感動を呼ぶものだが、気候科学の直面する難題はあまりにも大きく、多分野にまたがる巨大な国際組織となったIPCCのなかで、一人ひとりの科学者の存在は埋もれつつあるという時代の変遷を知ったことが、個人的には本書からいちばん学んだことだった。科学とは何か、科学には答えがだせるのか、といった究極的な問いかけが心に残る。
原書はご覧のとおり、ギリシャ神話の世界を思わせる素敵なイラストだったが、邦訳書はちょっと既視感のあるブルー・マーブルだ。でも、私たちが球体としての地球を意識するようになったのは、アポロが月に行って以来のことであり、本書ではグローバルという、いまではありふれた言葉になった英単語の意味をもう一度考えてもらうために、敢えて「全球的」という重たい訳語を使ってみたりもした。
たとえ一時的に豪雨や酷暑に見舞われても、しばらくすると快適な日々が戻ってくる日本では、どうも一般人は気候問題を突き詰めて考えたりしないようだが、科学者たちが何を考え、どうやって地球温暖化の事実を突き止めたのか、本書を読んで考えてくれる方が増えたらと願う。この問題の入門書というよりは、多少は気候科学について読んだことのある方向けかもしれない。
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