すでに7月26日付の赤旗日曜版では早稲田大学の塩田勉名誉教授が、8月1日付の日経新聞では東京大学の進化学者の佐倉統教授が、それぞれによい書評を書いてくださったが、このたび9月12日付の朝日新聞でも、同じく東京大学の社会学者である本田由紀教授が、本書の論点を簡潔にまとめてくださった。
この作品が問いかける問題の甚大さが日本でも徐々に理解されてきたのか、少し前にめでたく重版になった。しかし、ジェンダー問題を扱った前作と比べて、本作への世間の反応は鈍いように思う。ブラック・ライヴズ・マター(BLM)に象徴されるような人種問題は、日本では他人事なのだ。社会のなかにいる異質な人の数がごくわずかなときは、珍鳥のごとく、好奇の対象になるか、ちやほやされるからだ。「彼ら」の数が増えて目立ってくるようになり、「われわれ」の利害とぶつかり合うようになって初めて、人種問題は生じてくる。だから、日本では人種主義者が黄色人種として一括りにする人間同士のあいだで類似の社会問題が生じ、二言目には国籍の話になって終わり、かたや他国の話になると「人種差別はいけない」という道徳の話にすり替わる。
だが、レイシズムは人種差別主義なのだろうか? 著者サイニーによれば、raceという言葉の起源は確認される最古の使用例でも16世紀で、人種を形質のように記した最初の書は1758年刊行のリンネの『自然の体系』だとする。明治初めに西洋文明を吸収するなかで、確立された事実として西洋人から教えられた人種の概念を鵜呑みにしてきた私たちにとっては信じ難いことだが、人種の定義は科学的には少しも定まっていない。レイシズムとは、人種という科学的根拠のない概念を後生大事に掲げて、人間を何かとカテゴリにーに分類し、それによって階層化を図る主義、という意味ではないのか。そう考えるにいたって、あまり馴染みのない訳語ではあるが、人種主義という言葉を本書では採用した。
議論の前提に含まれた多くの偏見を見抜く著者の鋭さは格別で、インタビューを受けた偏屈な人種主義者だけでなく、デイヴィッド・ライクのような超一流の遺伝学者もたじたじとなっていた。人種科学が復活の兆しを見せている現在の風潮に、資金源を追及しながら立ち向かう彼女の姿勢には、ジャーナリストとしての気迫を感じた。
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