少し前に散歩の途中、ふと見た光景がまるでタイの山のなかのようだったので写真に撮ったことがあった。常緑樹の下にはヤツデやアオキが繁茂し、まだ3月なかばだというのに林床はシダで覆われ、そして何よりも南国的な風情を醸しだしていたのは、あちこちから生えているヤシのようなものだった。
そう言えば、以前から近所の公園の、誰かが植えたとは思えない傾斜地でもよく見かけていたことを思いだし、ネット検索をして初めてこれが、シュロであることを認識した。小学校の校庭や、よく遊んだ公園にも植えられていたように思うが、あまり丈は高くなく、触ると痛いと思った記憶くらいしかない。
ひょっとして三浦半島は植生が違うのかと思って娘夫婦に聞いてみると、そういうわけではなく、ヒヨドリなどが実を散布して分布が拡大しているとのこと。学生時代に温暖化によってシュロが増えていると習ったと娘は言っていた。
シュロの実など見たこともなかったが、いったん意識しだすと、シュロはどこでも見つかる。ちょうどウニのような黄色い花が咲いており、萎びた実が残っている木もあった。雌雄異株で、花は5–6月ごろ咲くと通常は書かれているが、私が見たのは4月初旬だった。これも温暖化によるのだろうか。
国立科学博物館付属自然教育園の研究によると、シュロの実生は気温が4℃を下回ると育たないが、温暖化で土壌が凍結しなくなり、1990年ごろからどんどん増えているという。同園では1965年には2本しかなかったシュロが、40年間で2149本になり、約1万本の樹木の20%を占めるようになったのだそうだ。成木になると、マイナス12℃でも耐えられる。地球の平均気温が1℃くらい上がっても大したことなさそうに思えるが、実際には氷点下になるかならないかで、生態系には大きな変化が生じる。それで、私のように漫然と見ている者の目にもシュロが留まるようになった、というわけだ。
シュロにたいする私の関心がさらに高まったのは、道路に落ちていた茶色い物体をハシブトガラスがついばんでいる現場を見たためだった。怖いもの見たさで通り過ぎてから振り返って凝視すると、茶色い物体は何のことはなく、シュロの樹皮で、巣材を調達中のようだった。昔、ヤシマットのバスケットを庭に放置していたら、メジロなどがせっせと繊維を引き抜きにきて、ついに全部なくなったことを思いだした。
シュロは箒になるのではと思い、検索してみたら、案の定、皮を使って箒を自作している人が何人かいた。シュロは箒だけでなく園芸用の縄も編めるし、葉でハエ叩きや編み籠もつくれるし、平安時代に日本に伝わって以来、硬すぎず、重すぎない木の部分は、鐘を叩く撞木としていまでもよく使用されるのだそうだ!
梵鐘のある寺が減り、箒は掃除機に取って代わられ、網戸の普及や、個体数そのものの減少でハエ叩きを使う習慣もほぼなくなり、わずかばかり残っている都市近郊の緑地ではシュロが、利用する人もなく、間引かれることもなく、どんどん増えている。温暖化は否応なく進むので、茹でガエルの状況だが、身近にあるシュロの存在に気づいただけも、少しばかりの進歩かもしれない。
とりあえずできることとして私が思いついたのは、シュロの箒をつくって掃除機を使う頻度を少しでも減らすことだった。バンコクでよく見かけた、自転車に箒を山のように積んで売り歩くおじさんを久々に思いだした。あれは昨今流行りのSDGsに適う生き方だったのだ。
皮を木槌で叩くと書かれていたが、お試しで玩具のようなミニ箒をつくったので、髪を梳くように手で繊維をまっすぐにして、ヤマザクラの小枝に銅線で縛り付けたら、一応、箒らしきものが30分工作でできあがった。埃や消しゴムのかすなどはよく掃けるので、孫と娘にあげたが、あまり使われている気配はない。
近所の神社の境内裏手、2021年5月撮影
シュロの花、2021年4月撮影
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