2021年5月11日火曜日

『FOOTPRINTS 未来から見た私たちの痕跡』

 10年ほど前、近所を散歩していたとき、道端に石碑があることに気づいた。スキー帽をかぶったような人物と三猿が彫られていて、よく見ると手が何本もあり、法輪や弓矢をもち、猫のようなもの──あとで邪鬼と知った──を踏んづけている。寛政10(1798)年という古い年代のもので、調べてみると庚申塔と呼ばれる石碑だった。旧東海道沿いなので、ほかにもあるのではないかと、それ以来、道端を探すようになった。その後、ネット検索すると、庚申塔研究している人のブログやホームページがいくつも見つかり、それを参考に三浦半島から都内まででかけては、社寺の裏手や草に埋もれた石碑を探して歩いた。  

 ちょうど『100のモノが語る世界の歴史』(筑摩書房)を訳していたころで、何千年も前の遺物からでも多くのことがわかることを知り、大いに興味をそそられていた。ところが、日本は基本的に木や紙、布など、燃えたり、虫喰いになったり、腐敗したりしてあとに残らない物質を好んだ文化であり、たかだか200年前のものですら、近所にはこうした石碑しか残っていないことに愕然とした。ふだん目にしているものの95%は100年以内につくられたに違いない。ということは100年後にこの場所に立つ人の目には、私の痕跡はもちろん、いま私が見ているものすら何一つ映らないかもしれない。そう思ったら、何やら寒々としたものを感じた。その後、私が祖先探しをするようになった背景には、このときの衝撃が少なからずあった。  

 ところが、今回、翻訳の仕事でかかわったデイビッド・ファリアー著『FOOTPRINTS 未来から見た私たちの痕跡』(David Farrier, Footprints: In Search of Future Fossils、東洋経済新報社)からは、その真逆とも言うべき別の衝撃を突きつけられた。原題にある「フットプリント」と「未来の化石」とは、いったいどういう意味なのか。  

 人間の「足跡」もまるで無関係ではないが、それ以上に比喩的な意味で、日本語なら痕跡と称されるようなものについて本書は語る。つまり、現代の人間が残す痕跡のことだ。それはカーボン・フットプリントのように、目には見えないけれど、大気中の成分にこの先何万年も人類が残す人為起源の二酸化炭素も含まれるし、コンクリート、鋼鉄、ガラスなどを使って、人間が地上にも地下深くにも建設してきた道路や都市の高層ビルやインフラストラクチャー、坑道などの建造物、海洋に漂う膨大なプラスチックごみ、そしてもちろん半減期だけでも人類の歴史をはるかに上回る放射性物質まで、おおむね負の遺産と呼ぶべきものである。  

 著者はエディンバラ大学の英文学者であり、自然と場所、つまり環境をテーマにして文章を書くコースを教えたことから、過去の優れた文学・芸術作品の助けを借りて、想像を膨らませながら、文明が滅びたのちの遠い世界に思いを馳せる。文学者ではあるけれども、オンカロの放射性廃棄物の最終処分場から、オーストラリアのグレートバリアリーフやウラン鉱まで、ジャーナリストのように現地に赴いての報告もある。  

 何万年、何十万年も先の未来に、地球に暮らす人類の子孫か、まだ生き残っている生物にしてみれば、200年にも満たない期間に、地球を大きく改変してしまった現代の人間がどう映るかを想像するという、かなりの想像力を要求される試みだ。地質学者がV字谷やモレーン(氷堆石)を見て、そこにかつて存在した氷河を思い浮かべられるように、地表面がどこにも見えないほど人間がつくり変えてしまった都心の光景を前にしたとき、その先の未来を想像できるだろうか。あるいは、この十数年間にネット上に溢れ返るようになった情報を見て、それがどこかのデータセンターに保管されるために使用される膨大なエネルギーが世界の炭素排出の2%を占めており、地球温暖化に拍車をかけているという現実に思いを馳せられるだろうか。  

 いまこの瞬間の諸々の欲望や心配事にばかり捉われている人は言うまでもなく、せいぜい10年単位でしか物事を考えられない政界・財界の人たちや、孫やひ孫の代くらいまでしか想像できない私たち大多数の人間は、たとえばプルトニウム239の半減期である24,110年後を考えてみろと言われても何も思いつかない。 

 この春、桜を観察するため久々に近所を歩き回った際に、以前から気になっていたごみの山が植生に覆われて、一見すると無害な自然の地物と化していることにふと気づいた。駅前から奇妙な禿山がよく見えたので、その存在はずっと知っていたが、実際にそばまで見に行ったのは10年くらい前のことだ。  

 あれは何だったのか。本書に触発されたこともあって、ようやく調べてみる気になった。その名も産業廃棄物の戸塚区品濃町最終処分場という。「はまれぽ」の記事や、横浜市のホームページなどによると、1987年に横浜市から許可を得た業者が山林地帯の窪地を埋める形でごみを投棄し始めた。ところが、しだいに許容量を超えて山が崩れんばかりの事態になり、遮水シートが敷かれていなかった箇所から汚染水が漏れて川上川に流れだしていたことなどが判明した。しかも、この業者が事実上倒産し、2005年から横浜市が代わりに一部のごみを運びだして山を小さくし、擁壁なども設置し、飛散防止対策とも施し、そのために42億円(国が18.5億円負担)が少なくともかかったという。つまり、私がごみの山で見ていたブルドーザーは、山を崩す作業をしていたわけだ。運だしたごみは、南本牧の最終処分場に埋立てられていた。  

 このごみ処分の業者や行政の怠慢は責められて当然だが、それだけの途方もない産業廃棄物をだす暮らしをしているのが私たちだということも忘れてはならない。ここの廃棄物の種類は、廃プラスチック類、汚泥、がれき類、ガラス・コンクリート、陶磁器くず、燃え殻などで、石綿も含まれており、数年前に近くで見た山は、粗大ゴミの山のように見えた記憶があるので、建てられては潰される住宅の残骸も含まれていたかもしれない。このごみの山は、皮肉にも源流の森保存地区のすぐ隣にある。

 旧東海道沿いを中心に、茶屋や農家が立ち並んでいたはずのこの一帯の住民は、わずかな石像くらいしかいまに残していないのに、私たちの世代が生きた痕跡は、はなはだ不名誉なことに、100年後、200年後も増えつづけるごみの山として残りそうだ。  

 以前に書いた横浜市中央図書館パサージュ論の記事も、この本を翻訳中に書いたものだ。環境問題だけでなく、文明とは何かを深く考えさせられた作品だった。5月下旬には店頭に並ぶ予定なので、見かけたらぜひお手に取っていただきたい。  


『未来から見た私たちの痕跡』(デイビッド・ファリアー著、東洋経済新報社)
左側が原書:David Farrier, Footprints: In Search of Future Fossils 
 


 近所で見かけた庚申塔 2010年ごろ撮影

 日本橋界隈、2014年8月撮影
 見渡す限りコンクリートに覆われた街の彼方に、『オズの魔法使い』のエメラルドシティのごとく新宿の高層ビル群が見えて、息苦しくなったのを思いだす

 近所のごみの山の変遷。まさに草生える!

 間近に見たごみの山  2015年1月撮影

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