2025年7月29日火曜日

『幕末の老中 松平忠固——政治・生糸貿易・上田藩——』

 このたび東洋大学の岩下哲典教授を編者に、吉川弘文館から『幕末の老中 松平忠固——政治・生糸貿易・上田藩——』という論文集が刊行された。3年前、「老中松平忠固と生糸貿易研究会」が発足した折に、若手史学者が大半を占めるこの研究会に、気まずいながらも、何であれ多様性は重要と自分に言い聞かせ、参加させていただいた。以来、月一のオンライン・ミーティングを重ね、上田での史料調査も何度かご一緒し、この論文集ために論文とコラムを1本ずつ担当した。  

 松平忠固(ただかた)については、このブログでも何度か書いたので、繰り返すことになるが、最初のきっかけは、十数年前に上田藩士だった自分の先祖のルーツ探しを始め、幕末史にはまったことだった。もっとも、私の先祖の足跡が最初に見つかったのが1861年11月に横浜にやってきたイギリスの騎馬護衛隊や、1862年5月に来日したイギリス公使館付の医師ウィリス関連の記録であったため、1859年10月(安政6年9月)に死去していた忠固は長らく私の興味の対象とはならなかった。  

 2014年に、私の母が子ども時代を過ごした松代や屋代を一緒に訪ねたあと、上田にも立ち寄り、上田市立博物館刊行の『松平氏史料集』と『松平忠固・赤松小三郎』を購入したものの、斜め読みしただけでしばらく積読状態となっていた。 

 その後、『横浜市誌稿』や『史談会速記録』などに忠固の名前をわずかに発見することはあったものの、それ以上は調べあぐねていたところ、2017年11月に上田の願行寺で開催された「松平忠固公を語る講演会&トークセッション」に、忠固のご子孫の方からお誘いいただき、参加してみた。このイベントでは、赤松小三郎研究会でお会いしていた関良基先生や地元史家の尾崎行也先生、貿易会社の経営者として日本の貿易史を研究され、松平忠固に強い関心をもたれていた本野敦彦氏などが、ご子孫の方々とともに登壇され、いろいろなお話を伺うことができた。その帰りに、関先生が猪坂直一の小説『あらしの江戸城』(上田市立博物館、1958年)を紹介して下さったのが一つの転機となった。  

 以後、小説を書くうえで猪坂氏が典拠としたと思われる史料が次々に見つかったが、上田に残るもの以外は、大半が忠固の政敵が残した記録であることがわかった。そのため、最初は開国をめぐって、のちに将軍継嗣問題に巻き込まれて、水戸、福井、彦根などの大藩だけでなく、岩瀬忠震ら幕臣からも忠固は嫌われ者として語られるようになった。大量に残るそれらの史料が何度も引用されることで彼の評価は地に落ち、やがて忘れ去られた。上田に残された記録を読む限り、忠固は非常に聡明で冷静、かつ潔癖な人物に思われた。ただし、おそらく気難し屋で、自分の意見をはっきり述べるなど、日本の根回し社会には馴染まない側面があったのだろう。 

 私なりに探り当てた忠固像は、2020年に自費出版した『埋もれた歴史——幕末横浜で西洋馬術を学んだ上田藩士を追って』(パレードブックス)で、一章を割いてまとめてみた。この本で追究しきれなかったテーマは、のちにブログで何度か記事にした。その一つとして日米和親条約締結時の森山栄之助の役割について書いたことなどから、岩下先生のご紹介で横須賀の『開国史研究』21号に論文を投稿したこともあった。 

 こうした諸々のご縁から、本野氏が寄付された研究費を岩下先生が受けて立ち上がった忠固研究のプロジェクトに、ファミリー・ヒストリアンの延長でしかない私にもお声がかかった、という次第だ。ひとえに、研究会発足時には上田の歴史家以外に、忠固を研究した人がほとんどいなかったからだろう。 

 せっかく本格的な研究会に参加させていただいたのだからと、論文のテーマには自分のなかでいちばん大きな謎だと思っていた関白九条尚忠と忠固の関係を選んだ。九条尚忠も幕末の重大な時期に朝廷の最高位の役職に就いていた人物でありながら、政敵が残した記録ばかりが残り、忠固同様に歴史の脚注に片づけられてきた。2人の直接のやりとりを示す史料が見つからないなか、専門家の方々からは無謀ではないかと忠告も受けたし、自分でも背伸びどころか、竹馬に乗ったような不安はあった。それでも、これまで翻訳してきた科学書で学んだように、なくした鍵を街灯の下だけ探すのではなく、不完全なりに、部屋のなかの象にも挑んだつもりだ。また、自著を執筆した過程で、忠固の子どもたちについてかなり調べていた経緯もあって、もう一本、忠固自身の家族についてコラムも執筆した。拙稿を踏み台にして、いずれ何かしら違う展望が開けたらたいへん嬉しい。 

 もちろん、本論文集には、専門家の方々が同じだけの期間、上田をはじめ各地に史料調査に赴いて、それぞれの研究テーマと掛け合わせながら構想を練られた論文やコラムがぎっしり詰まっている。たとえば、忠固老中日記から忠固が平均して何人の対客をしたかを調べ、彼の仕事ぶりを数値で可視化を試みた、鈴木乙都さんの研究などは、毎日新聞の「首相日々」を思わせ、彼の性格の知られざる側面を明らかにする。

 論文集ということで、発行部数も限られ、高額の本となってしまったが、お近くの図書館にリクエストいただくなりして、お読みいただけたら嬉しい。浦賀に来航したペリー一行にたいし、船に乗り込んで歓待するふりをしながら「船将」を突き殺し、残りの船員も斬り殺せと水戸藩の徳川斉昭が主張した時期に、開国を主張した松平忠固。攘夷を主張する孝明天皇のもと、ハリスとの条約締結は不許可という最終回答が朝廷側から下ったにもかかわらず、井伊大老に強引に調印を迫った松平忠固。日本の近代化はいまや、過度のグローバル化によって輝かしいものでもなくなり、単純な過去への回帰を願う声すら聞かれる。排外主義が選挙の争点にまでなり始め、長年の常識がどんどん崩れてきている昨今だが、世界から孤立して島国として生きるわけにもいかない。いま一度、幕末の原点に立ち戻ってみることは非常に有意義なはずだ。

『幕末の老中 松平忠固——政治・生糸貿易・上田藩——」岩下哲典編、吉川弘文館、2025年

2025年7月14日月曜日

『西洋の敗北:日本と世界に何が起きるのか』を読んで

 平等をテーマとする大部の校正がようやく始まったところに、タイミング悪く、図書館で長らくリクエスト待ちしていた本がまた回ってきてしまった。いま話題のエマニュエル・トッドの『西洋の敗北』(大野舞訳、文藝春秋、2024年)で、私のところに届いた図書館の本は、2025年3月の第8刷だった! 昨年11月に佐藤優の書評を読み、すぐにリクエストを入れたのにすでに200人以上待ちという凄まじい状況で、それを半年以上待ったからには読まねばと、読書時間をひねり出して目を通したので、備忘録を兼ねて書いておく。 

  トッドの著作は、はるか昔に『新ヨーロッパ大全』をやはり図書館で借りて読んで以来だ。イングランドやフランス、デンマークは平等主義的、個人主義的な絶対核家族型、日本やドイツは権威主義的な直系家族型などと、世界の民族を家族構成から分析したトッドの手法は斬新な視点を与えてはくれたが、上下2冊の大部のなかで繰り返しその類型がもちだされ、最後のほうは辟易した記憶がある。確かに、長子相続にたいする次男以下不満が、明治維新の原動力の一つではないかとこの数年とみに思うし、戦後、民法が改正されて子ども間で等分に相続することになっても、「長男の嫁」という言葉は、おおむね老親の介護や盆暮の義務などの否定的な意味ながら残りつづけ、二世帯住宅が決してなくならないことを考えれば、「直系家族型」は日本社会の本質的な側面を表わしているのだろう。とはいえ、世の中の雑多な人びとをいくつかの家族構造に分類して理解しようとする手法は、7つの性格タイプに人を当てはめるような性格診断と同じくらい、私にはどうも胡散臭く思えた。

   以来、新聞などでときおり彼の論評などを読むことはあり、ウクライナ戦争について彼が一般とは違う冷静な意見を発していることはそれなりに承知していても、『第三次世界大戦はもう始まっている』(文藝春秋、2022年)や『問題はむしろロシアよりも、アメリカだ』(池上彰との対談、朝日新聞、2023年)にも食指は動かなかった。それにもかかわらず今作に興味をもったのは、この10年ほど、アメリカは言うにおよばず、ヨーロッパの衰退を感じることが非常に増えたためだ。 

  従来の家族構成分類に加えて、宗教の崩壊が自身の分析モデルの中心にあると書く著者は、今作では宗教が「活動的状態」から「ゾンビ状態」に移行し、やがて「宗教のゼロ状態」になるという具合に時代ごとの分類も加えているので、なおさらややこしい。しかも、文脈によって微妙にその年代がずれているようでもあり、気になった。ちなみに、「ゼロ状態」になれば、社会が個人単位に解体され、国家機関が特別な重要性を担うようになる。いずれ宗教の絶対的虚無状態のなかで国民国家は解体され、グローバル化が勝利するのだともいう。

   原書が執筆されたのは2023年夏のあいだで、その年10月に始まったイスラエルとハマースのあいだの戦争に関する追記と、日本語版に寄せた2024年7月のあとがきはあるが、基本的にはウクライナとロシアの戦争にたいする分析を軸に、それを取り巻くアメリカとヨーロッパ諸国の近い未来の敗北を予測している。著者は大国に限定した場合の広義の西洋になぜか日本を含めており、日本がその他西洋諸国と運命を共にするのかについては、この先の進路しだいと言葉を濁している。

  2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻直後に西欧諸国で言論の自由がなくなった事態に、私も非常に危機感を覚えた一人だったが、本書の日本語版刊行に際して書かれた序文に、フランスでも「およそ八カ月間、沈黙を保たなければならなかった」とトッドが書いていることは多くを語る。 

 ロシアとウクライナ問題で彼が指摘していることは、侵攻当初にマイダン革命のころのBBCの動画や、本書でも言及されているジョン・ミアシャイマーの動画、プーチンを悪魔化するなと訴えるフランスのジャーナリストの動画などをかなり視聴した私には、さほど目新しいものではなかった。それでも、人口統計学者でもあり、各国の統計に詳しいトッドならではと思う指摘はいくつもあった。たとえば、ロシアが2020年に近年で初めて農産物の純輸出国になったこと、ロシアの工学専攻率は23.4%にたいし、アメリカは7.2%、イギリスは8.9%、ドイツは24.2%(2020年)で、ロシアが多くの技術者を輩出しており、ゆえに製造業が健在であること、ロシアの女性一人当たりの出生率は1.5人であり、動員可能な男性人口が40%も縮小しているのに、国土は1700万平方キロもあり、「ロシアにとっては、新たな領土の征服などもってのほか」であり、ゆえにウクライナを倒したあとヨーロッパを侵略するというのは「単なる幻想かプロパガンダ以外の何物でもない」ことなどだ。 

 ついでながら、ルイス・ダートネルが『この身体がつくってきた文明の本質』(河出書房新社、2024年)でロシアの人口ピラミッドを提示しており、第2次世界大戦の大きな爪痕がほぼ25年おきにいちじるしく人口の少ない世代となって現われているため、10代後半から30歳以下の人口が極端に少ないことを指摘していた。ソ連の一員であったウクライナにも、同じことが言えるはずだ。 

 ウクライナについては、独立時の大都市はキーウを除けば、ロシア語話者が多かった南部と東部オデーサ、ドニプロ、ハルキウしかなく、西部にはある程度の規模のリヴィウがあるのみという。ウクライナの航空産業、軍事産業などの最先端産業は東部に位置し、ロシアと結びついていたが、ロシア語話者の中流階級は、ウクライナ語話者のナショナリストの敵意の対象となるなかでロシアへ移住してしまい、1989年から2010年にかけて人口の20%を失った東部の町が多いそうだ。 ナショナリズムの活発な西部は歴史的に長年ポーランド貴族に支配され、ウクライナ人は農奴として扱われていた土地で、確かに「ネオナチ」の拠点ではあったが、トッドによれば、それ以上に、侵攻前からウクライナ全土に広がっていた「ロシア嫌い」こそ解明が必要な現象という。

 フランス語で原書を読めるほどのフランス語能力がないので、確認していないが、「ロシア嫌い」は日本では「反露」と訳されることが多いrussophobieの訳語のはずだ。通常は高所恐怖症のように、「恐怖症」と訳されるフォビアという言葉は、ゼノフォビアやイスラムフォビアを含め、「〜嫌い」「反〜」と訳され、いまは意味的にも敵対心、反感を表わすようだが、語源的にはもっと心理的、歴史的な恐怖心があると思う。 

 ウクライナ社会では「〈ロシアに対するルサンチマン〉が最終的には指針となり、展望となり」、この戦争こそが、ウクライナにとっての「生きる意味」になり「生きる手段」となりうるとし、ウクライナは真の「国家」ではなく「ワシントンからの資金に依存する軍・警察組織」でしかないといった説明を読むと、「ロシア嫌い」にかろうじて国としてのアイデンティティを見出している、末期状態を感じさせた。アンチにしろ、フォビアにしろ、自分ではないもの、敵との区別や抵抗が自分の存在理由になるのは、哀れな状況だ。  

 トッド自身はカトリックの家庭出身らしいが、彼自身の宗教観は本書ではいま一つわからなかった。ただし、西洋の発展の中心と根源にある特殊な宗教、プロテスタント諸派に関しては面白い言及がいろいろあった。プロテスタントの教会はすべての国民が土着語で聖書を読むことを求めたため、大衆の識字化が進んだほか、「国民」も早くから誕生していた。「ある者は選ばれ、ある者は地獄に落ちる」とするカルヴァン派の予定説は、キリスト教本来の「人間はみな平等」という概念に戻ることはなく、トッドは「黒人排除こそがアメリカの自由民主主義を定義し、機能させていた」とし、「共産主義的普遍主義に道徳面で太刀打ちするために必要」となった「黒人の解放は、予期せぬ負の結果の一つとして、アメリカ民主主義の混乱をもたらした」などと書く。「共産主義は、正教会後のロシアの〈宗教〉となり、社会を結束させる集団的信念になっていた」という指摘も興味深い。 

 1957年のスプートニクの衝撃から科学面でソ連と対決しなければならなかったWASPエリートたちは、ハーヴァード、プリンストン、イェールという三大名門大学へのユダヤ人入学者数を限定する「ヌメルス・クラウズス」制度を実質的に廃止されたとも述べている。このあたりは、ちょうどマイケル・サンデルの『実力も運のうち:能力主義は正義か?』で、マンハッタン計画の科学顧問だったコナントがSATを導入した経緯などを読んだばかりだったので、フムフムそういうことかと思いながら読んだ。  

 アメリカの「WASPの終焉」、「ユダヤ系知性の消滅?」といった小見出しで述べた状況や、東欧について書いた章に関連して、トッドは自身の出自についても言及しており、曽祖父がブダペスト出身のユダヤ人で、ブルターニュ人でもあり、イギリス系でもあるとする。そのことと多少関連するのか、彼の同性婚にたいする見解、とくにトランスジェンダーへの姿勢はかなり一方的だ。フェミニズムに関する近著、Où en sont-elles?もあり、ウクライナ戦争絡みで非常に好戦的な姿勢を見せた女性たちについて書いたものと思われる。大野舞訳で文芸春秋より近刊と書かれていたが、こちらはまだ刊行されていないようだ。ウィキペディアによると、トッドはポール・ニザンの孫で、父親はジャーナリスト、息子は歴史家で、最初の歴史書は一家の友人であったル・ロワ・ラデュリからもらったとのこと。 

 トッドのいくつかの主張にはほかにも疑問が残るものがあった。2012年開通と2021年に竣工した天然ガスパイプライン・ノルドストリーム1と2の破壊工作について、攻撃はアメリカによって決定され、ノルウェー人の協力を得て実行されたとするアメリカの著名ジャーナリスト、シーモア・ハーシュの見解を「唯一真実味のある説明」だとして受け入れているところなどだ。ただ、これだけの内容の本を数カ月で書き上げるのは超人技と思うので、自身の思い込みから抜けだせない部分や、読者におもねった部分なども、当然ながらあるのだろう。「西洋」の分析のなかで、自国のフランスにたいする批判が少ないのは、『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』(2016年、文春新書)であらかた述べてしまったからなのか。 

 「〈国家ゼロ〉に突き進む英国」という章は、翻訳の仕事や娘の留学を通じて、この20年余りの変遷をそれなりに見てきたので、興味深く読んだ。2016年のブレグジットは国民の復活ではなく、国民の崩壊の帰結であり、それによってイギリスはアメリカを選んで、みずからの独立を失いつつあるのだという。この章には「亡びよ、ブリタニア!」という強烈な副題がついている。原文はRule, BritanniaをもじったCroule Britanniaらしく、カンマがないのは気なるが、ChatGPTによれば、なくとも命令形と解釈してよいらしい。

 アメリカの国家安全保障局(NSA)がインターネットの普及とともに西洋のエリートたちを監視下に置いたという指摘や、そのもとコンピューター技術者であったエドワード・スノーデンがロシアに亡命したことが、アメリカ人がプーチンを許せない理由の一つだろうという推測もなるほどと思った。ウクライナが必要とする兵器をアメリカが生産できずにいる理由などは、アメリカの工業の衰退ぶりを明らかにし、GDPからは見えない経済の実体を明らかにする。アメリカは「世界通貨を最小限のコスト、あるいはコストゼロで生産できてしまうため、信用創造以外のすべての経済活動は採算の合わない、魅力的はないものになってしまう」とも書く。

 集中できない状態で読むには複雑極まりない本で、一読した程度では半分わかった程度でしかない。終章に時系列で追ったまとめがあり、一応の頭の整理にはなる。ブレジンスキーが1997年刊行の著書で「共産主義の崩壊によってアメリカが用なしになれば、日本、そしてドイツという二つの極がロシアと手を結ぶ可能性がある」と恐れていたこと、2004年のウクライナのオレンジ革命はアメリカが中心的役割をはたしたが、2013年末からのマイダン革命はドイツに率いられたEUが裏で操作していた、といった指摘が印象に残った。再読したくなるころには、古本の値段も下がるだろうから、そうなったら入手してみよう。