戦争となるとすぐに軍事力の話になる。ウクライナとロシアの軍事力の差を検証し、ウクライナの軍備が不足していたと主張する人も多い。いまなお核抑止力に言及する人すらいる。しかし、実際にはどんな戦争でも、勝つためには国際社会から賛同を得られる大義が必要不可欠だ。先に手をだした側は間違いなく分が悪く、今回ロシア側の「偽旗作戦」は功を奏したとは言えない。
プーチンほどの人物であれば、過去の戦争の諸々の事例を熟知しているだろうに、なぜ敢えてこのような行動にでたのだろう。長年権力の座に就いてきたプーチンが、ついに頭がおかしくなったのか。それとも、ロシアにしてみれば「生存圏」を脅かされる事態がつづいてきて堪忍袋の尾が切れたのか。ロシア兵として攻撃に参加している大勢の人びとは、命令され、脅迫されて仕方なくやっているのか、それともロシア国民の大多数はプーチンの行動に共感するものがあるのか。危機を煽りつづけ、対話をやめ、プーチン一人を悪者にしてきた欧米側の対応には問題がなかったのか。
こうした疑問が私の脳裏にいくつも浮かぶのは、太平洋戦争中の、やはり狂気の沙汰としか思えない日本軍の行動と、それを一斉に非難した国際世論や、いまなお当時の日本軍の行動を正当化したがる一定数の日本人がいる事実と比べてしまうからだ。経済制裁で石油が輸入できなくなって開戦に踏み切った当時の日本の事情に類似する、ロシアでは意味をなす何らかの大義や正義があったのではないのか。地理的にも時代的にも遠く離れたところから眺めれば、ただの狂人にしか思えないヒトラーやスターリン、東條英機、あるいはサダム・フセインやウサーマ・ビン・ラーディン、カダフィなどのうち、何人が本当に狂人だったのか。本当に狂人だったとすれば、なぜいまだにその信奉者がいるのか、こうした問題は私のなかで長年解決がつかない。
祖国の存亡の危機に直面し、次の瞬間にもGPSで誘導されたミサイルのわずかな誤差で命を奪われるかもしれず、生き延びても住み慣れた街を破壊され、生活の糧をすべて奪われるかもしれないという事態に直面したとき、どういう行動をとるのが賢明なのか。民間人であれば、逃げる、つまり疎開するのが関の山で、それすら移動できる余裕のある人に限られる。大量のウクライナ人が国外へ脱出し、この事態が長期化すれば、周辺国では新たな移民・難民問題となるだろう。
祖国の危機には武器をもって反撃せよという、血気盛んな声も聞こえ、ウクライナに援軍を、と主張する人もいる。幸い、そうすれば第三次世界大戦を引き起こしうることを熟知している欧米社会からは、そうした声はまだ大きくない。しかし、「ウクライナ軍が勇敢に反撃」とか、湾岸戦争のころのようにそそくさと派兵しないアメリカを「弱腰」などと書く人も見受けられる。
私が翻訳の仕事のなかではたと考えさせられたのは、実際にはウクライナ情勢とはまるで無関係の、『バガヴァッド・ギーター』で描かれるアルジュナとクリシュナ神に関する短い言及だった。多大な犠牲者がでることを予期して反戦を唱えるアルジュナを、どんな壮絶な結果になろうと正義の戦争なのだから戦う義務があるとクリシュナ神が説得したというものだ。アルジュナは、説得されてしまったとはいえ、初代反戦論者、平和主義者だったのか、などと思い、何年か前にバリへ旅行した際に娘が土産に購入したワヤン・クリのミニチュア版が、偶然にもアルジュナだったらしいことを発見して、年末に写真を撮らせてもらっていた。
ヒンドゥーのこの聖典そのものはまだ読んだことがなく、アメリカのアラモゴードで最初の核実験を成功させたロバート・オッペンハイマーが、その情景を見て「われは死となり、世界の破壊者となった」と『バガヴァッド・ギーダー』から引用したという逸話について知っている程度でしかない(『未来から見た私たちの痕跡』では、この逸話は作り話とされていた)。いつか、きちんと読んでから書こうと思っていたが、そんな時間がもてるようになる前に世の中が様変わりしかねない、と思ってこの駄文を書いている。
じつは、アルジュナとクリシュナに関するこの説明を読んだとき、私の頭に真っ先に浮かんだのは、ペリー来航時に、通商を始める前提で和議を主張する幕閣や応接掛に、「奮発の様子毫髪もこれ無く」などと憤慨し、けしかけつづけた徳川斉昭のことだった。
このとき平和主義を貫いた幕府の対応が、決して単なる弱腰でも、その場凌ぎでもなく、少なくともアヘン戦争の発端をつくった清朝の対応の誤りや、おそらくわずか1日の戦いで、その後200年にわたるインドの植民地化を招いたプラッシーの戦いについても熟考し、通商によって生き残るすべも検討したうえでの判断だったに違いないことがわかってくるにつれて、憲法9条の萌芽はここにあったのでは、とすら思うようになっていた。ペリー来航時の幕府の対応は、軍事力ではどうあがいても太刀打ちできない大国からの脅威を前に、礼儀を尽くして正論を主張し、軟着陸できる妥協点を探ったものだったのだ。
段抜き見出しの新聞が配達されてくるたびに、ネットニュースでウクライナ情勢が次々と報じられ、SNSでウクライナへの同情を表わす投稿が増え、反ロシア感情が高まるのを見るたびに、私たち外野がこれをウクライナかロシアか、という国同士の対立にしてはいけない、と強く思う。こうした事態を招いた遠因が、ウクライナ・ナショナリズムの高まりであると知れば、なおさらだ。両国の関係は、日本と中国、あるいは韓国、北朝鮮との関係以上に複雑であり、国境線を引いてきれいに分かれるものでもない。どちらの国にも対立を煽る好戦的な人間はいるけれど、どちらの国でも圧倒的多数は平和な暮らしがつづくことを望んでいるはずだ。外野は平和主義に徹し、ロシア国内の反戦の声を拡大させ、プーチンの支持基盤を崩すことに徹するべきと思う。平和主義の問題は、いずれまた別の角度から、もう少し冷静な頭で考えてみたい。
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