2022年2月17日木曜日

『世界を変えた12の時計』

 昨年から時間や時計についてあれこれ考えるきっかけとなった拙訳書の見本が届いた。デイヴィッド・ルーニーの『世界を変えた12の時計:時間と人間の1万年史』(河出書房新社、David Rooney, About Time: A History of Civilization in Twelve Clocks)という本で、ご覧のとおり邦訳版は素敵なカバーになった。  

 私自身は時計マニアとはほど遠いタイプで、何年か前に電波時計に買い換えるまでは、私の腕時計はいつも数分単位で狂っていた。そんな私が最初に時間と時計に興味をもったのは大英博物館の『100のモノが語る世界の歴史』(N・マクレガー著、筑摩書房)でマリンクロノメーターの歴史に関する章を訳してからだった。小学生のころ、アーサー・ランサム全集にはまっていたので、クロノメーターが船に関係した時計であることは漠然と知っていたが、それによって人類がようやく経度が正確に割りだせるようになったことは、『100のモノ』を訳すまでまるで理解していなかった。  

 ちなみに、アーサー・ランサムの第1巻『ツバメ号とアマゾン号』の6章冒頭にはこんな一文がある。 
「ジョンが時計を見にひっこんだ。ジョンが船長になった今は、時計はクロノメーターとよばれている」
(原文:John disappeared to look at his watch, which was now called a chronometer because John was the master of a ship.)  

 神宮輝男・岩田欣三両氏の訳はとても好きだったが、いま読み返してみると、この箇所はいただけない。原書の初版が1930年という時代背景からも、のちにジョンがその時計をポケットに押し込んでいることからも、これは明らかに懐中時計だし、この箇所はクロノメーターの初出なので訳注がないのは不親切だ。小学生の私の頭では理解できなかったわけだ。一方、当時のイギリス人は子供でも、大英帝国の形成に大きく寄与したクロノメーターの何たるかは熟知していたに違いない。 

『100のモノ』の校正の合間にイギリスに旅行したときは、グリニッジ天文台を訪れて丘の上から蛇行するテムズ川を眺め、本初子午線をまたぎ、ゲートのところの大きな時計も見たが、報時球なるものを見たかどうかは記憶が曖昧だった。それでも、帆船の形の風見とともに、奇妙な赤い物体を見たおぼろげな記憶はあり、旅行時に撮った写真を探してみたら、カティサーク号の背景に見える天文台の上に確かに写っていた。

 まだ無線通信が普及しておらず、正確な時刻を知ることが自船位置の経度を正確に知るために必須であった時代に、報時球は主要な港に錨泊中の船から見える小高い場所に設置されており、1日に1回正確な時刻を告げていた。日本では1903年になって横浜と神戸に、その後ほかにも何箇所か設置されていことを知り、明治後期になってもまだそんなことをやっていたのかと、かなり意外に思った。横浜では、幕末にフランス波止場と呼ばれていた東波止場に設置されていたことなどが『神奈川県港務部要覧』からわかり、あれこれ検索するうちに、eBayで古い絵はがきが手頃な値段で出品されているのを見つけ、この仕事の記念と自分に言い訳して、つい購入してしまった。

 日本では明治4(1871)年9月9日から、皇居内旧本丸で正午を知らせる空砲が鳴らされていたことはよく知られる。これは改暦(明治6年1月1日)以前のことだが、「昼十二字大砲一発づゝ毎日時合法執行致し」てはいかがと兵部省から提案を受けて始まったのだという。では、それ以前はどうだったかと言うと、アーネスト・サトウが『一外交官の見た明治維新』で述べたように、「日本の時間は2週間ごとに長さが変わったので、日の出と正午、日の入り、真夜中を除けば、1日の時刻について確かに知ることは非常に困難だった」。不定時法でも昼九ツと夜九ツは季節にかかわらず、定時法の正午と深夜の零時と同じはずなので、庶民にとって午砲の「ドン」は定時法への移行を意味していたわけではなかったのだろう。  

 午砲に使われていた24ポンドカノン砲は小金井の江戸東京たてもの園に移設されており、佐久間象山の青銅砲について調べた折に見に行ったことがある。この大砲は品川台場にあったものを転用したとどこかで読み、佐賀藩が大量に鋳造した一門だろうかと調べたこともあった。 

『世界を変えた12の時計』では、こうした帝国主義時代の歴史が多くを占めるが、実際にはもっと古代や中世にもさかのぼって人類がどのように時を管理するようになり、それが権力とどう結びつき、人びとがどうそれに抵抗してきたかという根源的なテーマを追究したものだ。  

 なかには『不思議の国のアリス』の一節も登場する。じつは児童文学のこの名作を、私は娘に買ってやった仕掛け絵本でしか読んだことがない。ページをめくるとトランプが盛大に飛びだし、つまみを動かすとチェシャ猫がにんまり笑う楽しい絵本ではあったが、この作品については表面的に理解したに過ぎない。小学校の図書室から原作を借りてきて、夢中になって読んだ娘は、図工の時間に置き時計工作をした際に、白ウサギの懐中時計に見立てたデザインを上手に浮き彫りしていた。この時計はいまも動いていて、娘宅で使われている。引用箇所の翻訳に当たっては、既訳をいくつかネットで探したが、著者ルーニーがここで言わんとしていたことを正確に伝える訳が見当たらなかったので、新たに訳出した。いつか原作をちゃんと読んでおこう。  

 ルーニーのこの本は、現代のクロノメーターのようなGPSを動かす原子時計についてもかなりのページを割いている。GPSを私が最初に知ったのは、まだ旅行会社に勤務していたころに世界道路協会の会議が横浜で開かれ、関連の視察で当時まだ開発途上だったカーナビのお披露目を見たときのことだった。その前年の湾岸戦争で使われて話題になったものだったが、見通しのきく砂漠とは違い、市街地で使うには、精度の高い地図と組み合わせられなければ意味がないのだという説明を受けた記憶がある。いまでは軍事用のGPS受信機の精度は恐ろしいほど上がっているそうだが、人工衛星に搭載されて地球のはるか上空を回る原子時計に依存するGPSそのものは、決して堅固な技術ではない。意図的な妨害や、誤った情報にも振り回されるものであることは、昨年9月のアメリカ軍によるドローン攻撃による誤爆からも明らかだ。  

 コウモリ通信でたびたび触れてきた世界各地の時計台の代表格とも言える、ロンドンのビッグ・ベンの鐘は、2017年8月以来沈黙してきたが、今春には大規模修復工事が終わり、15分ごとに鳴り始めると、先日、報道されていた。ウェストミンスター・クオーターズ、ケンブリッジ・チャイムなどと呼ばれる大英帝国の象徴のようなこの旋律は、全国の小学校で私たちが聞いて育ち、懐かしくすら思う、いわゆるキンコンカンコンだ。あれがイギリス由来だったとは。

 この本は、まるで湯水や空気のように、当たり前の存在になりつつある時間とは何か、時計とは何か、改めて考えさせられる一冊だと思う。ちょっと逆説的だが、私はこの仕事以来、江戸時代までの不定時法に興味をもち、前述したように、日の出観察をつづけている。書店で見かけたら、ぜひお手に取ってみてほしい。

『世界を変えた12の時計:時間と人間の1万年史』デイヴィッド・ルーニー著、河出書房新社

 カティサーク号内で見たクロノメーター
 2012年5月撮影

 横浜にあった報時球

 グリニッジ天文台の報時球、2012年5月撮影
 左側はカティサーク号

 午砲に使われた青銅砲
 江戸東京たてもの園にて、2013年6月撮影

 娘が小学生のころ図工でつくった時計

冬至からの私の「日の出観察」。ほぼ二十四節気ごとに撮影。
新聞にでる横浜の日の出・日の入り時間で、エクセルで初めてグラフも作成してみた!

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