2022年12月25日日曜日

日の出観測

 昨年の暮れは、アマルティア・センの回顧録の翻訳が予定どおりに終わらず、締め切りを一カ月延ばしていただいていたが、今年も年末まで似たり寄ったりの状況だ。それでも、昨年の冬至前から始めていた二十四節気ごとの日の出観測という、自分で勝手に始めたプロジェクトを一昨日、曲がりなりにもやり終えたので、記念にまとめてみた。

 きっかけとなったのは、『世界を変えた12の時計』(デイヴィッド・ルーニー著、河出書房新社)を訳していた際に、不定時法が使われていた江戸時代の日本で、二十四節気ごとに時間を変えていた事実に気づかされたことだった。アーネスト・サトウが来日したころも、2週間ごとに長さの変わる日本の時間に閉口していたようだったが、ペリー来航時などには、いったいどうやって双方で応接の時間を合わせたのだろうか。ペリー艦隊はクロノメーターを装備し、神奈川の南中時刻を正確に測っていたはずなので、正午だけは双方でおよそ時刻が合っていたのだろうが、長崎からきていたオランダ通詞たちが、舶来の懐中時計をもっていて時刻合わせでもしたのか、それとも当時は1時間くらいずれて待たされたところで、誰も気にはしなかったのか。

  以前に日没点の観測は1年間つづけたことがあったので、冬至と夏至の太陽の沈む位置は58度くらい離れていて、広角レンズでないと収まらないことは知っていたはずなのだが、 東側が開けた場所が近くにはあまりなく、民家の屋根越しにどうにか見渡せる場所に決めたのがそもそもの失敗だった。じつは、最初の数回は日の出の位置がさほど変わらず、これなら大丈夫かと思ってしまったのだ。実際には、solsticeという言葉どおりに、冬至と夏至の前後では、太陽は静止(stit)したかのようにほぼ同じ位置から昇りつづけるが、それ以外の季節では、唖然とするほど南北に大きくずれていく。しばらくすると、屋根が邪魔になって観測地点を数メートルずらさなければ日の出が見えないという間抜けな事態になった。もう少し遠くの、もう少し眺望がある場所で出直そうかとも思ったが、2週間ごとに夜明けの長い散歩をするほど元気ではなかったので、そのままつづけることにした。 

 日没点の観測をしたときは、日の入りが見えるよく晴れた日だけを選んだのにたいし、今回は二十四節気にこだわり、できる限りその前後数日の少しでも晴れている日を選んだため、太陽のこうした動きがよくわかった。それが、いちばんの収穫と言えば収穫か。ただし、曇りや雨天つづきで、せっかく早起きして見に行ったのに太陽のかけらも見えないということもあった。  

 場所の選定も、天気予報の確認も、カメラの設定も、すべてがいい加減だったために、何やらよくわからない結果にはなったが、それでも再び冬至を迎えられたのはよかった。起き抜けのねぼけまなこで、カメラ片手にふらふらと歩いて、東を向いて太陽が昇るのをじっと待つ。その数分間の手持ち無沙汰の時間に、季節の移り変わりや、夏も冬も変わらず近くの木から飛び立っていくヒヨドリのことや、途中で勃発したウクライナ戦争のことや、気候災害に見舞われた人びとのことをぼんやりと考えた。この1年間に最愛の人を亡くし、家や仕事を失い、年末を暗い気持ちで迎えている人も大勢いることだろう。寒い部屋のなかで、いまだに終わらない仕事と格闘中ではあるが、コロナに罹患しても大事にいたらず乗り切ったし、今年も何とか無事に過ごせたことを感謝したい。
 
  皆さまどうぞよい新年をお迎えください。

エクセルのグラフは、すでにやり方を忘れていて、作成する気力がなかったので省略です。

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