2010年4月30日金曜日

『認知症にならないための決定的予防法:アルツハイマーはなぜ増えつづけるのか』

「あの火山の名前、覚えている? エイヤフィヤトラヨークトルだよ!」
 先日、うちの母が突然こんなことを言いだした。頭の体操だと思って、三日もかけて覚えたのだそうだ。 昨年から私がアルツハイマーの本を翻訳しており、会うたびにいろいろと吹き込んだためか、母も予防策を講じているらしい。なにしろ、アルツハイマーの危険因子の一つは遺伝、つまり家族歴であり、私の祖母は、アルツハイマーと診断されることはついになかったけれども、最晩年、認知症をわずらっていたからだ。 

 祖母は七十代なかばまで英語の添削の仕事をし、趣味で彫金をやるなど、元気に老後を送っていたが、八十を過ぎたころからデパートに通っては同じような服を何枚も買い、やたらに長電話をかけてくるなど、言動がおかしくなり始めた。やがて台所に焦げた鍋がいくつも放置されるようになり、一人暮らしが危険になったため、ケアハウスに移ることになった。そこは親切なスタッフに囲まれ、狭いながらも個室があり、食堂に行けば三食がでてくる快適な生活だったが、それも長くはつづかなかった。 

 ある年のクリスマス・イブに、ケアハウスから呼びだしを食らった。駆けつけてみると、祖母はすぐ前の建物からライオンが跳びだしてくるなどと訴え、完全に錯乱していた。その晩は、バスルームの床を這い回っては、見えない虫をたたきつぶそうとする祖母を、幼い子をなだめるように抱き締め、ようやくベッドに連れ戻した。すると今度は、ベッドが水浸しで眠れないと頑なに言い張る。こうなるともうケアハウスでは暮らせない。 

 年末年始で行き場がなかったため、祖母はしばらく遠くの病院の精神病棟に預けられた。出入口が施錠されているその大部屋にはベッドがずらりと並んでおり、ぶつぶつ言いながら徘徊する人もいれば、床に転がっている人もいた。なかにはまだ五十代と思われる患者もいた。強烈なアンモニア臭に圧倒されたが、認知症になるとまず嗅覚をやられるので、祖母は気にも留めていなかった。錯乱状態はそのうち治まったが、その後は六人いる子供の誰それが浮気をしているとか、アフリカに探検に行ってしまったとか、見舞いに行くたびにおかしな話をするようになった。やがて、饒舌だった祖母もどんどん無表情に、無口になっていった。   
 
 一人娘で甘やかされて育った祖母だったけれども、好奇心旺盛でユーモアもあり、孫たちのことはかわいがり、よく面倒を見てくれた。祖母との思い出はいくらでもあるはずなのに、最晩年の豹変ぶりがあまりにも強烈で、その姿ばかりが浮かんでくるのは悲しい。  

 自分も老いたら祖母のようになるのだろうか? なぜ認知症になるのだろう? このたび刊行された私の訳書、『認知症にならないための決定的予防法――アルツハイマーはなぜ増えつづけるのか』(ヴィンセント・フォーテネイス著、河出書房新社)は、そんな長年の疑問に答えてくれる本だった。衝撃的だったのは、睡眠不足と慢性ストレスがアルツハイマーの引き金になる、という著者の指摘だ。しかも、アメリカでは八十五歳以上の人の半数はアルツハイマー病なのだという。自分の晩節を汚さないためにも、家族や社会に負担をかけないためにも、いまからできる限りの予防策をとりたいものだ。 

 著者はこんなことを書いている。「簡単な読書をすれば、脳の刺激になると考えている年配者もいますが、脳の予備力を高めるためには、もっと多くの精神的活動が必要かもしれません」。本書をはじめ、私の訳書はどれも分厚くて小難しいと、いつも周囲に不評だが、頭を使う本は認知症の予防策にもなるようだ。みなさんも、どうぞご活用ください! 

 祖母が子供のころ使っていた「舶来」のリボン

『認知症にならないための決定的予防法:アルツハイマー病はなぜ増えつづけるのか?』 ヴィンセント・フォーテネイス著 (河出書房新社)

2010年3月31日水曜日

バブル時代

 単に自分たちがある年齢に達しているからなのか、誰もが急に昔を懐かしみだしたのか、この数年、何十年ぶりかの再会がつづいている。悪い思い出は都合よく忘れ、楽しかったことだけが記憶に残るのだろう。学生時代も新入社員だったころも、輝かしい日々だったように感じる。会えばみな口々に、あのころはよかったよねえ、という話になる。  

 私が80年代に通った大学は都心にある私大で、裕福な家庭の自宅生が大半だったから、月に何度も飲み会や食事会があって、サークルの活動や合宿がつづいても、高級ブランド品に身を包み、アルバイトはほんの小遣い稼ぎ程度、という人が大方を占めていた。料理教室や茶道教室、テニススクールなどに通うのも一般的だったし、休みには誰かの別荘に泊まらせていただくといった優雅な大学生活を送っていた。 小学校から地元の公立校しか知らなかった私にしてみれば、えらい世界に入り込んでしまったわけだ。私は彼らとの付き合いの一切合切を自分で賄わなければならなかったから、家庭教師を何軒もやり、3、4年次は週に2日は終日アルバイトをし、冬のあいだはスキーの宿で居候をしたり、スキー学校で教えたりしながら、なんとかやりくりしていた。それでも、アルバイトの口はいくらでもあったし、無利子の育英会奨学金も申請すれば簡単に、特別貸与の割り増しでもらえたうえに、入学金や授業料まで頼むまでもなく免除してもらっていた。だから、自分だけが辛酸をなめた、という意識は少しもなかった。  

 それから四半世紀がたち、東京のはずれにある国立大学まで片道2時間をかけて通学した娘がこの春、無事に卒業した。地方からきた真面目な学生が多い地味な大学だったせいもあって、娘の学生生活は私のころとは似ても似つかぬものだった。「店飲み」などまずしない。食材と安酒を買いだしに行き、学校内や誰かのアパートで鍋を囲みながら飲むのがふつうなのだそうだ。これなら1人1000円程度の予算で、充分に楽しめる。食費を切り詰めている友人たちは、研究室で具なしスパゲティをつくり、コンビニのおにぎりや菓子パン、100円バーガーを2個だけ、といった乏しい食事で腹を満たしていた。身体は資本だから、うちの娘には毎日、見てくれはどうであれ、少なくとも栄養だけはある弁当をつくってもたせた。 私の学生時代は、多くの学生が休みを利用して長期間、海外へでかけたのに、いまの学生は国外にでることを端からあきらめているのか、関心がないのか、日本から一歩もでようとしない。スキーのようにお金のかかるスポーツも敬遠され、ゲレンデは閑古鳥が鳴いているそうだ。なにしろ、いまの若者は人生で最も自由で時間のある学生時代の多くを、リクルートスーツを着て就活に費やさなければならない。靴を何足も履きつぶして何十社をめぐっても、どこにも就職できず、絶望して電車に跳び込む学生もいるという。  

 最近の十代、二十代の若者には、体格の悪い子が増えているような気がする。痩せ願望や偏食もあるだろうが、貧困による栄養不足の可能性もある。いまはリーマン・ショック後の一時的な不況で、また昔のように気楽な時代が戻るのだろうか? それとも親の世代には当たり前にできたことが、子や孫の世代には遠い昔の夢物語になるのだろうか? 同窓会でまだバブル時代を引きずっている友人たちに会うたびに、落ち着かない気分になる。

2010年2月28日日曜日

インターバルカメラ

 昨秋からあまりにも忙しい日々がつづいて、放りっぱなしにしていたものを、いまごろになって片づけている。何よりもまず、商売道具であるパソコンのハードディスクを占領していた、大量の写真の整理だ。原因はインターバルカメラ。  

 娘が卒論のテーマに鳥と果実の対応関係を選び、研究室からインターバル撮影のできるカメラを何台か借りていたのだ。30秒とか1分間隔で設定し、日の出から日の入りまで実のなっている木を撮影し、そこへやってくる鳥の採食現場を撮影しよう、という目論見からだった。どんな具合に撮れるのか試したくて、私も空いているカメラを拝借し、うちのフェンスに繁茂しているノブドウで二週間ほど実験してみた。簡単にできそうで、これがなかなかうまく行かない。メジロやヒヨドリがきているのが声でわかっていても、カメラにはなぜか写っていない。たとえば、30秒間隔で撮影しても、滞在時間が29秒だったら、シャッターが下りた瞬間にはもういないわけだ。小さな鳥は、焦点が合っていなければ、写っていてもシミにしか見えない。1日に撮影できた1000枚近い写真を見る作業は、目を酷使する以外の何ものでもない。防犯カメラから犯人の姿を捜す捜査官も、こんな思いをしているのだろうか。 

 見れども見れども、同じ光景の写真がつづく拷問のようなチェック作業にめげて、パソコン内に未確認のままの写真が増えつづけた。そのうち、いつの間にか実もなくなり、私の素人実験は終わりになった。これだけやって、はっきりと鳥の姿が確認できたのは2枚だけだった。大量の写真をただゴミ箱行きにするのも悔しいので、天気が急変した日と、秋の夕暮れの「つるべ落とし」がわかる写真を抜きだしてみた。日の光は色の魔術師だ。  

 ところで、ノブドウを撮影してみたのには理由がある。ノブドウは青やピンク、紫のパステルカラーの実をつけるので見た目には美しいけれど、このきれいな色は虫こぶ、つまり虫が寄生しているために生じる産物であり、実そのものはまずくて鳥すら見向きもしない、などとよく言われているからだ。本当だろうか? ネットで検索すると、「ブドウタマバエやブドウトガリバチが寄生」といった記事がわんさかでてくる。ところが、ブドウタマバエという蝿も、ブドウトガリバチという蜂も存在しない。いるのはノブドウミタマバエという蝿とブドウトリバという蛾らしい。ブドウ科の植物を食べるこれらの虫は、確かにノブドウに寄生するようだけれど、ブドウトリバはブドウ科のほかの植物の害虫でもある。それならなぜ、ノブドウだけが虫こぶだらけ、などと言われているのだろう?  

 夏に雨が多かったせいか、残念ながらうちのノブドウはあまりきれいに色づかず、カビが生えて腐ってしまった部分もあった。だから正確にはわからないが、私が観察した限りでは、黄緑色の未熟な実は、薄茶→ピンク→薄紫→水色→透き通った薄緑色に、4日前後で順繰りに変化していた。薄緑色になるともう色は変わらず、いつの間にかすべてなくなっていた。メジロが食べているところを、一度だけ目撃した。実は食べても大丈夫なのだろうか? ネットで調べてみると、ノブドウの実はなんと肝機能の改善から水虫にまで効く薬やサプリメントとして、かなりの高額で売られている! ノブドウの謎解きは今年に持ち越しだ。アパートの管理人には申し訳ないが、またノブドウを繁茂させるところから始めなくては。

 ノブドウの色の変化

 秋の日はつるべ落とし

 一天にわかにかき曇り

 庭で見かけた生き物

2010年1月31日日曜日

栄養学のにわか勉強

 長年、勉強してきた専門分野の翻訳だけをやって食べていかれる人、というのがはたして存在するかどうか知らないが、私はその正反対、つまりジェネラリストの最たるものなので、訳す本に合わせて、いつも付け焼刃で勉強するはめになる。知らない単語どころか、辞書を引いても意味のわからない単語が羅列しているときは、途方に暮れた気分になる。昔の蘭学者などは、暗号を解読するような気分で翻訳に取り組んでいたにちがいない。そう考えれば、インターネットもパソコンもある環境で、自分で辞書をつくりながらの翻訳作業など、苦労のうちには入らない。  

 こんな調子で仕事をしているから、校正の段になり、ようやく全体像が見えてきたころになって、次々に間違いが見つかる。何度も見直すだけの時間的な余裕があればいいのだが、いつも締め切りぎりぎりに駆け込んでいる私の場合、そうもいかない。原稿を修正してくださる方には申し訳ないと思いつつ、いまもたくさんの赤字を入れている。  

 たとえばfatという言葉。英語では私たちの身についている中性脂肪もfatだし、栄養成分表の表示もfatだし、その他、動物性の脂に多く含まれて血管を詰まらせる成分も、ショートニングやマーガリンに含まれる有害な副産物も、それぞれsaturated fat、trans fatと書かれている。もちろん、太っているのもfatだ。  

 ところが、日本の食品の成分表には「脂質」と書かれている。これに相当する英語はlipidだ。脂質もlipidも、脂、油、蝋、リン脂質など、水に溶けないもろもろの物質の総称と、似たように定義されている。食品には脂も油も含まれるから、本来はlipidとすべきところを、一般人にわかりやすいように、アメリカではfatが使われている、ということだろうか。日本の栄養学ではそれを「脂質」と呼ぶのであれば、「体内への脂肪吸収を妨げる○○茶」などと宣伝されているものは、本当は「脂質吸収」とすべきなのだろうか? となると、「低脂肪高タンパク」は、「低脂質高タンパク」なのだろうか? うーん、ややこしい。要するに、言葉の定義と、実際の使用例はかならずしも一致しないということらしい。  

 肥満大国のアメリカでは、栄養成分表に厳しい表示義務があるというので、アメリカから送られてきたコーンブレッドの袋を見てみると、確かにカロリーにつづいてSaturated Fat 0.5g、Trans Fat 0gなどと、明記されている。日本語ではこれらの成分は、飽和脂肪酸、トランス脂肪酸と正式名称で呼んでいる(ことに遅まきながら気づいた)が、アメリカでは科学文献以外はもっぱらただのfatだ。まったく紛らわしい。もっとも、オメガ3脂肪酸などは、さすがのアメリカでもomega-3 fatty acidと呼ぶようだ。  

 複雑なのは脂質だけではない。糖質にも、異性化糖からカロリー0の人工甘味料まで実にいろいろあって、コーンスターチからつくるHFCSは砂糖以上に血糖値を上げることなどがわかってくると、いったい自分は何を食べているのか、とつい気になってくる。最近は買い物に行くと、いちいち商品をひっくり返して裏の成分表を読んでいるが、老眼が進んできた私の目では、情けないことに読めないものもある。「40歳くらいから始まる老眼は、中年期に体と脳を襲うホルモンの逆転の前兆」なのだそうだ。いつまでたっても仕事は効率よく進まないけれど、一冊の本を訳しながら、少しずつ学んでいる気はする。

2010年1月3日日曜日

追悼 故鈴木主税先生を偲んで

「clueという単語をすべて『手がかり』と訳しているのは、どうかと思うね。数えただけでも9ヵ所はあった。糸口とか端緒とか言い換えられないのかね?」  1つの英単語にたいし、1つの訳語を機械的に当てはめるな、と鈴木主税先生にはたびたび注意された。「『しゃべりまくる』とか、『ぴんしゃん』なんていう下品な口語は使いたくないね。しゃべるように書けというのは、あれは間違いだ。書く文章は、気取っているくらい硬いほうがいい」とも言われた。  

 訳文が冗長で眠くなる。オノマトペや大げさな表現を多用するな。同じ助詞が連続しないように言い換えろ。漢字が無用に4語も連続すると四字熟語と見誤るから避けろ……等々、先生に指摘されたことは限りない。「きみの言語感覚を疑うね」と頭ごなしに怒られたときは、さすがに腹に据えかねて、「言葉なんて時代とともに変わるものだと思いますが」と、ささやかな反論を試みた。 

 いまから15年ほど前、転職を考えていた私は、会社勤めをしながら翻訳の通信講座を受けていた。資格さえとれたら、フリーで翻訳の仕事が始められると気楽に考えていたところ、1年半近く失業生活を強いられることになった。その後、鈴木先生の講座を受講したことをきっかけに、牧人舎で勉強しながら下訳の仕事をいただくという「徒弟」のような日々を8年ほど送った。  

 途中、バンコクに移住した時期もあったが、鈴木先生はその間も仕事をくださり、おかげで私は海外でもなんとか働きつづけることができた。そのころ訳した1冊、フェイガンの『歴史を変えた気候変動』の書評のコピーを、多忙な先生がわざわざバンコクまで送ってくださったことは、いまでも忘れられない。  

 牧人舎で下訳させてもらった本は、アンモナイトからマイケル・ジョーダンまで、占いから国際政治まで、実に多岐にわたった。下訳料は高いとは言えなかったけれど、なかには出版されず仕舞いの本もあり、それでも仕事が終わるとすぐに振り込んでくださったことが、毎月の家賃を払うのに苦労している私にとっては非常にありがたかった。  

 鈴木先生はどちらか言うと独断的で、懇切丁寧に教えるタイプでもなかったので、私は先生に言われたことすべてを納得して受け入れていたわけではなかった。それでも、フリーで仕事をするようになってからよく、そうか、これが先生の言わんとしていたことだったのか、と思い当たることがあった。たとえば、本を読んでいると、自分の気に入らない表現はやたらに目につく。それが1度でてくるだけなら見逃せるけれど、何度も繰り返されると、うんざりしてくる。同じ訳語を繰り返さなければ、読者をそんなつまらないことで刺激せずにすむ。だからこそ、言い換えは必要だったのだ! もちろん、特定の専門用語であれば、話は別だろうが。 

「15分でも30分でも時間があれば、仕事をする癖をつけなさい」と、先生はおっしゃっていたが、ご本人もいかにも仕事中毒の人だった。長時間、座りつづける翻訳業が身体によいはずがない。晩年はまず目や腰を悪くされ、入退院を繰り返されていた。「倒れるまで仕事をつづける」と、先生は口癖のように言われていたから、のんびり気ままな余生を送られるつもりなど毛頭なかったのかもしれない。延命治療は拒否なさっていたそうで、それもいかにも鈴木先生らしい。遺された膨大な数の訳書は、これからも多くの人に読みつがれるだろう。 

  鈴木先生、たいへんお世話になりました。どうぞこれからは安らかにお眠りください。

2009年9月30日水曜日

『CO2と温暖化の正体』

 今年に入って初めての訳書が、先月ようやく刊行された。海洋のベルトコンベヤー説で有名なブロッカーの『CO2と温暖化の正体』だ。これまでの気候科学関係の訳書を、よくわからないと言いながら読みつづけてくれた母が、「キャンプ・センチュリーとか、ダンスガード・オシュガー・イベントとか、聞いたことがある名前がでてきたよ!」と、得意そうに話してくれたのが、ちょっとうれしい。 この分野の本はかなり訳したので、文系人間の私でもおよそのことは見当がつくようになったが、根本的な科学の知識が欠けていることと、数字に弱い点は、いかんともしがたい。このエッセイを書きながら、訳文を読み直したら、なんと間違いを見つけてしまった。「45リットル・タンクに詰めたガソリンはおよそ45キロの重さがあるが、それを燃やして炭素を酸化させると、135キロ以上のCO2が生成される。車にはそれだけのCO2を格納する場所はないし、もちろん、飛行機にもない」(14章、p303)という件だ。  

 ガソリン1リットルを燃やすと、二酸化炭素が2360g排出されるというから、逆算すると、タンクは57リットルでなければならない。原書を確認すると、タンクは12ガロンとある。著者がアメリカ人なので、米ガロンだと思い込み、45リットルと訳したのが運の尽きだった。英ガロンなら54.55リットルで、まあ近い。1リットルのガソリンはハイオクだと780gらしいので、45キロで57リットル強となり、やはり辻褄が合う。単位の換算はこれだから嫌だ。やれやれ。編集者にお詫びのメールを書かなければ。この箇所を訳したとき、わざわざアイスクリームを買ってドライアイスの重さを確かめ、ついでに昇華したときの容量をビニール袋で試し、さらに庭のヤツデの近くで袋の口を開けたのに、なぜ肝心なことには気づかなかったんだろう? 水と油が同じ重さのはずがないのに。  

 そう言えば、以前に訳した本の謝辞に、著者のフェイガンがこう書いていた。「おそらく近日中に、大小さまざまな間違いを指摘することを楽しむ親切な、そしてたいがいは匿名の人びとから、連絡をいただくだろうと確信している。彼らには前もって礼を述べさせてもらおう」。ああ、私も開き直るか。  

 ところで今回の本では、大気中から二酸化炭素を回収して安全に貯留するという、驚くようなアイデアが提案されている。文明滅亡といった悲観論より、人類の知恵を絞って温暖化の危機に対処する方向のほうが、個人的には惹かれる。この画期的な処理方法の開発費は、ブロッカーらの研究に多くの私財を投じ、この本を執筆するためにプロの書き手であるクンジグを雇った実業家、故ゲイリー・カマーが捻出してくれたものだった。こういう財界人が絡んでくると、すぐに陰謀に違いないと勘ぐる人もいるようだが、研究するためにも、世界各地で取材をして本を書くためにも、それを支える資金がなければならない。理論を実践し、実用化にこぎつけるまでにも、多くの試行錯誤を経なければならない。  

 CO2浄化装置にしろ、代替エネルギーにしろ、最初は雲をつかむような話だったに違いないが、それでもこういう難題に挑戦している人がいるというのは心強い。新技術を応援するために、カマーのように大金を拠出できる人はそういないだろうが、不完全な新商品を買って支えたり、代替エネルギーの開発に取り組む会社の株を買ったり、といった応援なら、できる人もいるはずだ。そんなことを考えて、私は試しにソーラーランタンという、ごく小さな商品を買ってみた。日向で6時間ほどニッケル・カドミウム電池を充電すると、LEDランプが6時間ほど点灯しつづける。少なくともクリスマス用の電飾などは、今後はすべてソーラータイプにすればいい。要は、世の中の人の考え方が少しずつ変わることだ。

『CO2と温暖化の正体』 ウォレス・S・ブロッカー/ ロバート・クンジグ著、 内田昌男 監訳(河出書房新社)

2009年8月31日月曜日

『九月姫とウグイス』

 ひょんなことから、子供のころ読んだ本を思いだすことがある。先日も、おぼろげな記憶をたどり、岩波の子どもの本シリーズをネットで捜していたら、懐かしい本が次々にでてきた。その一つが『九月姫とウグイス』。著者はなんと、サマセット・モームだった。いまでこそタイは私にとって身近な国になったが、25年前までタイについて私が知っていたことと言えば、このお伽噺だけだった。  

 シャムの王家に王女ばかりが次々に生まれた。子供の名前をシリーズにしないと気がすまない王様は最初、「夜」と「昼」と名づけたが、さらに増えたために四季に変え、曜日に変えとしたあげくに、12の月の名前をつけ始めたところ、九月姫でようやくおしまいになり、あとは王子ばかり10人生まれて、こちらはAからJまでで事足りた、という設定で話は始まる。王様は自分の誕生日に周囲の人びとに贈り物をするのが好きで、ある年、金色の籠に入った緑色のオウムを9人の王女たちにプレゼントした。ところが、九月姫のオウムは死んでしまい、嘆いているところに、一羽の鳴き鳥が迷い込んでくる。九月姫はその鳥と仲良くなるが、あるとき姉たちの甘言に釣られて籠に入れると、鳥はだんだん元気がなくなり、ついに籠の底に横たわってしまう。九月姫の涙で息を吹き返した鳥は、自分は自由でなければ死んでしまうのだと言う。それを聞いた九月姫は、鳥を空に放ってやる。のちに美しく成長した九月姫は、カンボジアの王様に嫁いでいく、というあらすじだ。  

 改めて読み返してみると、これはイギリス人のモームが創作したというより、何かの逸話をベースに書かれたように思える。この童話はもともと《ピアソンズ・マガジン》の1922年12月号に掲載されたようだが、モームはその年、ビルマのマンダレーからシャン州を馬で抜けて、チェンマイから鉄道でバンコクに向かい、翌年1月にオリエンタル・ホテルに投宿している。旅の途中でマラリアを患い、九死に一生を得たらしいので、そんな状況でいつこの童話を書いたのか、誰から聞いた話をもとにしたのか、興味は尽きない。  

 子沢山のタイの王様といえば、「王様と私」のモンクット王がすぐに頭に浮ぶが、現在のチャクリ王朝は代々、ラーマ1世、42人、二世、73人、三世、51人、四世、82人、五世、77人と、二十世紀初頭の王様まで、お伽噺どころではない子持ちだった。王族だけでも一大エスタブリッシュメントだ。なかには后妃や側室が150人以上もいた王様もいた。どうやって19人も子供を産めたのかと、という子供のころの謎は、これで解決する。  

 もう少し調べてみると、ラーマ1世の時代に、カンボジアのアン・エン王が一時期タイで囚われの身となり、ラーマ1世と養子縁組をして、のちにタイ人のロス妃を娶っていることがわかった。この二人のあいだの息子アン・ドゥオン王が、シアヌーク前国王の高祖父に当たるというから、シアヌーク前国王が九月姫の子孫……という可能性もまったくなくはない。もちろん、チャクリ王朝以前の王様がモデルということも、充分にありうる。  

 肝心のウグイスのほうはどうだろう? 原文ではナイチンゲールだが、サヨナキドリはヨーロッパ、アフリカ、西アジアにしか分布しない。日本のウグイスも、タイにはいない。タイの鳥仲間に聞いてみると、市街地によくいて、よく通る澄んだ声で、さまざまな鳥の鳴きまねもするシキチョウではないか、とのことだった。  

 タイには誕生日に当人がパーティを開くという習慣もあるようだし、籠にすし詰めにされたシマキンパラを放鳥する摩訶不思議な商売もあるので、このお伽噺のなかにはそうしたタイならではの風習がどことなく感じられる。シュリーマンのトロイではないけれども、子供のころに読んで不思議に思っていたことが、のちにわかってくるのは楽しい。

 3月にバンコク市内で見かけた シキチョウ