2012年1月6日金曜日

フェイスブック

 数年前、友達に誘われてフェイスブックを始めた。最初のうちは海外の友人ばかりだったし、どう利用すればよいのかわからず、「顔なし」のまま持て余していた。そんな折にSNSに関する本を仕事で読み、友達の友達に輪を広げることが人間関係を大きく発展させることに気づかされ、興味をもつようになった。  

 もともとインターネットという公共の場で、自分の考えを述べることには関心があった。十数年間、この「コウモリ通信」を書きつづけているのもその一環だ。ネット上とはいえ、文字で残るので、それを読んだ人から批判される可能性は充分にある。それでも、私が発信したわずかなことが、誰かの心に残り、なんらかの影響力をもつことだってあるだろう。  

 フェイスブックの場合は半公共スペースであり、おたがい少なくともある程度は素性のわかる人同士のやりとりなので、掲示板などで見られる匿名の誹謗・中傷の心配はない。顔をだすことは、集団の一人に紛れるのではなく、個人として活動することなので勇気がいるかもしれない。自分の弱みや内面をいっさいさらけださないタイプには向かない。ストーカーもいるので、神経を尖らせる人がいるのも無理はない。でも、みんなが鎧に身を固めて当たり障りのない話しかしなくなれば、それはもう社会ではない。実際には誰もが同じような悩みをかかえて生きている。要はそれを恥と思って苦にするか、しないかの違いなのだ。  

 震災後はとくに、フェイスブック上でかなり真面目な議論も交わされていた。人はいろいろな意見をもっているものであり、反対意見があってこそ、よりよい方向が見えてくる。これこそまさに弁証法だ。民主主義にとって「脅かされることなく発言し他の意見をきくことのできる機会」が、選挙と同じくらい大切だとアマルティア・センも書いていた。  

 選挙だけの議会制民主主義が機能しなくなって久しいのは誰でもわかっているはずだ。結局、政治家も官僚も地方行政も、これだけ複雑な社会の隅々の問題まで対処はできないのだ。世界の人口がこれだけ増え、どの国も食糧や水、エネルギー資源のようなごく基本的なものですら他国に依存せずには暮らせないいまでは、一国の努力では何事も解決しない。いら立つあまり強いリーダーを求める声もよく聞かれるが、英雄など幻想に過ぎないことは、ローマや漢王朝どころか古代エジプトを見ても歴然としている。金正日の葬儀で、霊柩車の上に彼の特大の写真が載っていたが、あれこそまさに「強いリーダー」の実態だ。国を代表する特大の顔は、裏に回れば薄っぺらなものであり、あの国を動かしているのはいまも昔も、周囲にいる顔の見えない大勢の将軍たちであるに違いない。  

 結局、できることは、一人ひとりが周囲の人を理解して支え合うことくらいしかない。でも、一人が差し伸べられる手は弱いから、手は何本もあったほうがいい。救われたいと思う側は、相手を泥沼に引きずり込まないために、自分でも這い上がろうとしなければならない。  

 なんと言っても、今年はついに2012年なのだ。5年前に『2012地球大異変』という本を訳して以来、私なりに心の準備はしてきたつもりだ。あの風変わりな著者の予測どおり、中東はいま不穏な空気に包まれている。「集団的な心理的虚脱状態を防ぐために、ぼくらにできることはないのだろうか? ことわざにもあるように、備えあれば憂いなしだ。まったくの不意打ちを食らいさえしなければ、間違いなくトラウマは軽減されるだろう」。来年のいまごろも、「コウモリ通信」が書ける世の中であることを心から祈っている。

2011年11月30日水曜日

ユニコーンは実在したか?

「タール砂漠には、かつてもう一つの川が流れていた。古代にはサラスヴァティーと呼ばれ、いまはガッガル・ハークラーと呼ばれる川だ。この川もまたリグ・ヴェーダのなかでこの地域の七人の川の姉妹の一人として称えられている」と、水をテーマにしたブライアン・フェイガンの新しい本に書かれている。  

 ハラッパーやモヘンジョダロで有名なインダス文明は、実際にはサラスヴァティー川流域にあったといまでは考えられている。この川が干上がるにつれて人びとは四散したのだろう。下水道まで完備した高度な都市を築き、メソポタミアや中央アジアの国々と交易をしていたこの文明の存在は、二十世紀初頭まで忘れられていた。再発見のきっかけをつくったのが、インダスの印章と呼ばれるものだ。ソープストーンという柔らかい石に彫られていて、封印のように粘土に押して交易に使われていたと考えられている。  

 いま訳している大英博物館の本にこの印章について書かれた章があり、いつもながら、つい調べ物に夢中になってしまった。この印章にはまだ解読されていないインダスの文字とともに、驚くほど写実的な動物の姿が陰刻されている。ゾウ、トラなど、一目でそれとわかる動物もいれば、あまり馴染みのない動物もいる。鎧を着たようなイボイボのサイは、デューラーの「犀」の絵によく似ていたので、インドサイだと見当がついたが、襞襟をつけた蹄のある動物は、ヤギなのか牛なのかもわからず、延々と画像検索したあげくに、フェイガンの本にあったコブウシだ!と思いついた。しかし、縞模様の一本角がある妙な動物はなんだろう。大英博物館の本には「牛とユニコーンが合体したような獣」と書いてあったが、私には架空の動物には思えなかった。後ろ脚の付き方や蹄などは、動物をよく観察した人ならではの正確な描写だし、空想上の動物にしてはずんぐりしている。  

 気になって今度はユニコーンを調べてみると、インダス文明からはるかのちの紀元前390年ごろペルシャ王の医師を務めていたクテシアスというギリシャ人が『インド誌』のなかで「インドには、ウマぐらいの大きさか、もしくはそれ以上の大きさの野生のロバがいる。その体は白く、頭は暗赤色で、眼は紺色、そして額に縦1キュビットほどの長さの1本の角を持つ」(ウィキペディア「ユニコーン」より、1キュビットは約45センチ)と書いている。「この動物は、非常に力強く、足が速く(中略)その肉はひどく苦く、食すこともままならないので、角とアストラガロス(距骨)のためだけに狩られる」。その100年ほどのちに、実際にパータリプトラに駐在していたギリシャ人、メガステネスが現地人から聞いた話もウィキに掲載されている。メガステネスの記述はインドサイと混同しているが、角には「螺旋状の筋が入って」いるとしている。インダスの印章の動物にそっくりではないか。  

 アレクサンドロス大王はインド遠征時に大きな大学のあるタキシラの町を訪れ、現地の人びとと哲学談義を楽しんでいる。パンジャーブ地方にあるこの町にいた文化人たちは、インダス文明を築いた人びとの子孫だったのかもしれない。  

 中世のヨーロッパ人がインドについて知っていたことはすべて、古代ギリシャ人が残した書物からの知識であり、そこから一本角の白馬のような空想の動物ユニコーンが生まれたらしい。その間に、一本角のロバのほうは砂漠化と乱獲によって絶滅した可能性はないだろうか? インダス文明の研究は着実に進んでいるようだ。そのうちどこからかユニコーンの化石が出土するかもしれない!

2011年10月31日月曜日

タイの洪水

 本のなかであれこれと読み、想像してきた遠い過去のことや、遠い未来に起こるはずの出来事が、いま現実に起きている。準備や心積もりができる前に、時代のほうが一足早く動乱の時代に入ってしまったかのようだ。地球温暖化で海面が上昇したら、タイの中央平野はナコーンサワン付近までたちまち海面下になると以前に読んだ記憶があるが、それが雨季の洪水でこれほど見事に冠水するとは。友人たちも次々に被災しており、この先、流通だけでなく水道や電気などのインフラにも混乱が起き、食糧難や疫病の流行すらありうることなどを予想すると、なんとも気が重い。   

 日本のマスコミの報道は、タイに進出した日系企業の被災状況ばかりに集中している。タイで生産すれば安い、ということにしか関心のない企業人は、思わぬ痛手を受ければそそくさと引き揚げてしまうのだろうか。外国企業を多数誘致し、高層ビルから都市交通網まで海外の技術を使って建設し、高級な外車を乗り回し、海外ブランド品で身を固めてきたタイのエリートたちは、豪邸にじわじわと迫る泥水にどう対処するのだろうか。  

 大河の流域で暮らすことがつねに危険と隣り合わせだということを私たちは忘れている。川の水は大量の土砂やシルトを運び、それが堆積すれば川床は高くなり、蛇行するようになる。集中豪雨などで短期間に流量が急増すれば、川はより低い場所を求めて流れを勝手に変えていく。人間は定住地を築くために川に堤防を築いて川筋を固定しようとするけれど、水の流れは地表面だけでなく、実際には地下でも起きている。堤防を超えて水があふれれば、あるいは堤防そのものが崩れれば、頭上高くから水が押し寄せる事態になる。あふれた場所の多くが市街地や工場になれば、水は地面に浸透せずにすべて排水溝へ流れる。  

 バンコクは海抜が一メートル以下の地域も多く、高い場所でも二、三メートルしかない。かつて国際貿易都市として栄え、今回は多数の日系企業の工場が冠水したアユタヤも、海岸から九〇キロ近く内陸にあるのに、海抜は四メートルほどしかない。十七世紀にチャオプラヤー川をさかのぼってアユタヤを訪れたフランスのイエズス会士ギー・タシャールはこう書いている。「シアム〔アユタヤ〕まで数日の距離にあるこの地は非常に低い土地だ。一年の半分はすべて冠水している。数ヵ月は降りつづく雨が〔チャオプラヤー〕川を氾濫させ、大洪水を引き起こし、おかげでこの土地は肥沃になっている(中略)。それがこの洪水のもう一つの好都合な点で、どこへでも、農地のなかへも船で行かれるのだ。そのため、あらゆるところに多数の船があり、この王国の中心地には人よりも船のほうが多い。なかにはかなり大型で、上に家が載っている船もあり、一家全員がそこに住んでいる。こうした船が出合う機会のある場所では、何隻もが一緒に集まって、水上村のようなものをつくっている」。ペルシャ人はアユタヤを「船と運河の都市」と呼んでいた。運河はもともとこの氾濫原を干拓するための排水路としてつくられたのだ。  

 二十世紀以降、タイでは人口が急増し、運河は道路に変わり、高床式の住宅も地方にしか見られなくなった。今日のバンコクはニューヨークや東京となんら変わりない大都会に変貌しているが、タイが熱帯の国である現実は変わらない。温暖化が進めば、モンスーンの豪雨がさらに激しくなる可能性も充分にある。タイを利用する外国企業も、お金で見かけの繁栄を買うタイのエリートも、もっと自分たちの置かれた環境をよく知らなければ、何を築いたところで足元から崩れていくだろう。同じことはどこの国にも言える。 

 追伸:以前にコウモリ通信に書いた新しい訳書『なぜ本番でしくじるのか』(シアン・バイロック著、河出書房新社)がこのたび刊行されました。ふだんはできるのに、肝心なときに失敗して損をしている方、ぜひお読みください!

1690年にケンペルが描いたチャオプラヤー川沿いの光景(A Description of the Kingdom of Siam 1690, 1998年の復刻版より)

ケンペルが描いた屋形船(同上)

2011年9月30日金曜日

不運続き

 この9月はなぜか「事件」の多い月だった。始まりは母からの電話だった。こともあろうにキャッシュカード詐欺に遭って、総合口座の定期預金まで引きだされてしまったのだ。うちの近所はほぼ連日、パトカーやゴミ収集車、消防団などがこの手の詐欺に気をつけろと、耳にたこができるほど言って回っているので、自分の母親がそれにまんまと引っかかるとは夢にも思わなかった。頭に血が上った私は、ともかく状況を正確に把握しなければと思い、船橋の警察署で母と落ち合わせることにして電車に飛び乗った。  

 発端は前日の夕方、警察を名乗る犯人からかかってきた電話だったが、母が私に連絡してきたのは翌日の夕方近くになってからだった。いわゆる劇場型の犯罪で、犯人グループは警察や銀行員になりすまして母に電話をかけつづけ、その間にもうカードを回収する実行犯が玄関口に現われたらしい。なぜ、すぐ私に連絡してくれなかったのか、どうしてそんな猿芝居に騙されたのかと、話を聞けば聞くほど情けなくなった。つい口調がきつくなっていたのだろう。事件を担当した刑事さんにあとから、「犯人はじつに巧みに話すので、誰でも引っかかるものなんですよ。お母さんをあまり責めると、この事件をきっかけにうつ病になったり、認知症になったりすることもありますから」とたしなめられた。確かに、それだけはなんとしても避けたい。  

 あとから考えてみれば、犯行があった晩は台風の影響で荒れ模様だったため、母に電話をかけなければと、一瞬思ったのだ。あのとき私が電話をかけていれば、少なくとも日付が変わってすぐ、一日の引き出し限度額が更新された瞬間に深夜のコンビニのATMから下ろされた二度目の犯行は防げたはずだ。防犯カメラには実行役の姿が映っているそうだが、こういう犯罪は毎日あまりにも多くの件数で起こっているので、捜査の手が回らないのが実情のようだ。あとは金融機関が詐欺事件の被害者のために設けている制度で、被害額の何割かでも戻ってくることを願うばかりだ。  

 この事件のショックから立ち直る間もなく、今度はあちこちから突然の訃報がつづいた。例年、夏の終わりから秋口にかけては、真冬と並んで亡くなる人が多いそうだが、今年は震災のストレスに加えて、暑い夏を節電しながら過ごしたせいだろうか。まだ当分は活躍するだろう思っていた人たちが、まるでもうこんな世の中はご免だと言うように、あの世へ旅立ってしまった。  

 さらに、台風15号にもやられた。お隣とのあいだに並んでいたカイヅカイブキが5本も曲がり、そのうちの2本が窓に覆いかぶさっている。たしかに風の通り道にありながら、丈が高いまま放置されていたのだが、こんな被害がでるとは。これでは歯抜けになって目隠しの役割をはたさない。どうせお隣はもうずっと空き家だから当面はいいか、などと思っていた矢先に、今度はそのお隣が取り壊しになることになった。すでに足場を覆うシートの向こうで、連日、バリバリ、ガッシャーンと、気の滅入るような騒音がつづいている。  

 私の周囲の一連の出来事は大震災の余波のようなもので、こんな末端までついにその波紋が広がったのだろうか。それともこの先さらに「大事件」が待ち構えているのだろうか。We'll cross that bridge when we come to it. その橋まできたら、渡ればいい。取り越し苦労をしても仕方ない。以前はこう言われると腹が立ったが、いまはこうして開き直るしかない気がする。

2011年8月31日水曜日

モビール

 おそらく狭い家で生まれ育ったせいだろう。私は子供のころから天井を眺めるのが好きだった。ものがあふれる床の上とは異なり、天井にはわくわくするほどスペースがある。小さいころはよく、『長くつ下のピッピ』みたいに接着剤を足裏に塗って天井を歩けたら、と夢見ていた。そのせいか、天井に近い空間をゆらゆらと不規則に揺れ動くモビールについ心をそそられる。  

 ここ一ヵ月ほど暑くて散歩もままならず、あきらめて仕事に専念しようとパソコンに向かってみたものの、なかなか集中できない。秋のお祭り用に何か新商品をつくらなければ、などとぼんやり考えているうちに名案が浮かんだ。ペーパークラフトで鳥のモビールをつくるのだ。これまでに何度か精巧な鳥の紙模型はつくったことがあったし、翼の動くスキハシコウの玩具を真似て工作してみたこともあった。数年前、「こまたん」から娘が実物大に近いアオバトのモビールの絵を描かせていただいたこともある。  

 でも、私が考えたのはそんな難しいものではない。鳥のかたちは複雑そうだけれど、飛んでいるときは魚のような流線型の体に、翼が二枚ついているようにしか見えない。サギのような足の長い鳥は別にして、たいていの鳥は足も見えないし、体だって正面からは小さい丸にしか見えない。ならば、胴体は紙二枚分の厚みしかない薄っぺらでもいいかもしれない。翼と尾羽を開けば、それなりに立体的に見える。あいだに糸を挟むだけで重心がとれるだろうか。試してみたら、ほんのわずか後ろにすると鳥はまっさかさまに落ちそうになり、少し前にずらすと昇天しそうになる。ところが、中心当たりで両翼を開くと不思議に安定するのだ。翼をさらに下げたり、少し上向きにひねったりすると、いまにも飛びそうだ。ツバメ、コアジサシ、カワウ、サシバなど、いろいろな鳥の試作品をつくってみたが、まずはかたちも単純なアオバトをつくることにした。大磯の海の上を、朝日を浴びながら群れをなして旋回する姿をモビールで再現しよう。  

 飛んでいる鳥が肉眼で見える程度のラフな模様を娘に水彩で描いてもらったものを、A4の用紙1枚に収まるように5羽分並べ、裏表がぴったりの位置になるように失敗を重ねながら調整した。これならたった1枚の紙から、オス3羽、メス2羽の小さいアオバトがつくれる。贅沢な材料と時間と手間をたっぷりかけた工芸品は、誰もが手に入れられるものではない。子供でもお小遣いで用紙が買えて、30分もあれば家にある材料で、自分で設計するモビールがつくれたら、楽しいではないか! この工作を機に、バランスや空間造形の面白さに目覚める人や、本物のアオバトを見に行こうと思う人がいるかもしれない。針金ならつけても軽いし薄いので、糸が絡まないようにうまくたためば、定形郵便で遠方の友達に送ってあげることもできる。もちろん、針金の代わりに小枝を使ってもいいし、一羽だけぶら下げても、ただ押しピンで壁につけてもいい。  

 マットコートの厚紙に印刷してもらったアオバトはきれいな色に仕上がった。私は調子に乗って10羽が舞うモビールをつくり、夜風に乗ってゆっくりと思いがけない方向に漂っている様子をほれぼれと眺めている。このお手軽工作シリーズは、ペーパー・バードと名づけることにした。「It’s only a paper bird, hanging over a baby cot……」。娘がすかさずメールで替え歌をつくってよこした。信じてくれれば、紙の鳥でも本物になる。

2011年7月31日日曜日

お手玉の効能

 ジャグリングが脳にいいということは、5、6年前から神経科学の実験でたびたび証明されており、いまさら私がここに書くまでもないかもしれない。両手、両腕を正確なタイミングで動かし、速く動くものをつかみ、視界の周辺で動くものを追う必要があるジャグリングは視覚運動技能の典型だ。「両手の動きを協調させるには、左右の脳が対話する必要がある。この対話は基本的に、左右の半球をつなぐ神経細胞の線維路の太い束、つまり脳梁を通じて行なわれている」と、この秋に刊行予定の『なぜ本番でしくじるのか』という本のなかで、著者のバイロックは書いている。「ジャグリングの練習を数ヵ月間つづけると灰白質(ニューロンの細胞体がある部分)が増す。これは一般に、運動を理解することにかかわる脳の部位で、脳細胞間の情報伝達が増すことを意味する」のだそうだ。  

 視線を上げて投げる、取る、という単純な動きだけに精神を集中させる運動には、瞑想のように頭のなかの邪念を追い払ってくれる効果もある。運動不足で脳の言語野ばかりを使いがちな現代人は、柔軟な発想ができない、ストレスがあっていざというときに力が発揮できない、不安や怒りに駆られるとそこから抜けだせないなど、多くの問題をかかえている。そんな現代人が手軽に始められる娯楽として、ジャグリングは注目されているのだ。 記憶には体で覚える「手続き記憶」や、意識的に覚える短期および長期の「顕在記憶」など異なった種類のものがあり、脳のさまざまな部位に少しずつ蓄えられていることがいまでは判明している。老化は20代から始まるし、いつか脳梗塞に見舞われたり、アルツハイマー病を患ったりすることもあるだろう。脳の一部を損傷しても、一度にすべてが失われないためにも、日ごろから普段あまり使わない脳の部分を鍛えておくのは重要だ。  

 ジャグリングというと、何本ものクラブを自在に操る大道芸を思い浮かべるかもしれないが、お手玉でもいい。「なんだ、おばあちゃんの遊びか」と、ばかにしてはいけない。ビーンバッグ(豆袋)は世界各地のジャグラーも使っている。聖徳太子もお手玉で遊んだらしいが、「石なご」と呼ばれたこの遊びはジャグリングではなく、ナックルボーンズという遊びに似ていて、お手玉では「よせ玉」という遊びになっている。布のお手玉が広まって、ジャグリングである「ゆり玉」遊びが流行したのは江戸末期から明治のようだ。子供のころお手玉でよく遊んだという私の母などは、いまでも両手三つゆりが上手にできる。  

 日本のお手玉の会が推奨する40gの小豆入りざぶとん型のお手玉は、当たっても痛くないし、手によく馴染み、手ごろな大きさだ。長方形の布(4.5×9cm)四枚を風車のように並べて縫い合わせる。誰が最初に考えたのか知らないが、わずかな布で簡単にボールをつくれるこのアイデアはすばらしい。私は別の展開図を考え、娘がつくった型で鳥の図案を一枚一枚ステンシルで染め、これと同じ仕様の鳥のお手玉を製作している。滑稽な顔の鳥がポン、ポンと舞い、ときどき空中衝突するさまは何度見ても笑ってしまう。  

 お手玉をやる人はたいがい、右手で投げて左手で取り、それを右に送る方法で三つゆりをする人が多い。でも、これから始めようという人は、ジャグリングの基礎と言われる3つのカスケードを先に習得するほうがよいようだ。これは両手が同じ動きをし、右手で投げたら、その玉を取る前に左手の玉を投げ、その玉を取る前に右手の2個目を投げるという技だ。球戯が得意でない私には、左手で投げることがそもそも難しい。取る前に投げる、などと考えていると、どれを投げるのかわからなくなる。そこで取ることは意識せず、投げることだけに専念した。「な・げ・る」は三音節なので、「ほぃ」「ほぃ」と唱えながら練習する。そのうちに私の脳にもめでたく新たな回路が形成されたようだ。以来、毎日少なくとも5分は練習している。

『なぜ本番でしくじるのか』 シアン・バイロック著
(河出書房新社)

2011年6月30日木曜日

『アイデンティティと暴力――運命は幻想である』

 先日、遊歩道を見つけて歩いていたら、裏山を丸ごと開発した巨大な城のようなマンションの敷地内に入り込みそうになり、立ち入り禁止の看板に行く手を阻まれてしまった。林地の一部がそっくり私有地になり、一種のゲーテッド・コミュニティになっていたのだ。あきらめて周囲を回ると、ちょうど幼稚園のバスが帰ってくる時間帯で、若いお母さんたちが30人ほど出迎えていた。まるで申し合わせたように下の子をベビーカーに乗せ、育児の真っ只中でありながら、流行のファッションに身を包み、にこやかに談笑している。一人だけなら絵に描いたようなほほえましい光景なのに、人生の勝ち組であることを高らかに宣言するような集団に気圧され、私は足早にその場を去った。  

 同質な人ばかりで構成された集団というのは、無意識のうちに外部の人間を締めだす。隔離された世界に特定の条件を満たす人だけが住める社会は、犯罪が横行するいまの世の中では、一見、治安のよい楽園のように思えるかもしれないが、外の雑多な世界に暮らす人びとの目にはどう映るだろうか。こういう集団は得てして、自分たちの身分や資格を明確にする条件、たとえばマンションの住人かどうかを過度に意識するようになる。  閉鎖的な社会では、その構成員に画一的な規範や制約が課されがちでもある。「みんなちがって、みんないい」どころか、理想像はたいがい一つしかなく、子供のいない人はもちろん、共働きで子供を保育園に預けている人ですら、その輪には入りにくいだろう。輪のなかで愛想よく笑みをたたえている人も、内心は子供の教育からご主人の出世ぶりまであれこれ競い合ったりしていて、案外、窮屈な世界に違いない。  

 規模は違うけれども、同じことは民族や国のような、より大きな集団に関しても言える。特定の宗教や言語、文化などをもとに一つの民族として括られた集団は、その条件である信仰心や愛国心などを重視する。人をまずそうした観点から区別し差別して、集団の権利を主張するようになるのだ。その正当性を主張するために昔は神話をつくり、いまは法律を盾にする。こうした集団は、確かに外敵から自分たちの利益を守るうえでは好都合かもしれない。でも、しょせん人間社会全体にいちじるしい格差があるのだ。こうした気圧差は、少なければ心地よいそよ風になるけれど、圧力が高まれば犯罪という隙間風になって脆い場所に吹き込む。ときには内戦のような暴風にもなるだろう。内部の人間も外部の人間も、結局は住みよい土地や資源をめぐって生存競争をしているに過ぎないのだから。  

 このたび刊行されるアマルティア・センの『アイデンティティと暴力』は、人間のコミュニティに関するこうしたさまざまな問題をとりあげたものだ。「住民が本能的に一致団結して、お互いのためにすばらしい活動ができるよく融和したコミュニティが、よそから移り住んできた移民の家の窓には煉瓦を投げ込むコミュニティにも同時になりうるのだ。排他性がもたらす災難は、一体性がもたらす恵みとつねに裏腹なのである」と、センは言う。  

 人間が所属するコミュニティの一員であることを極端に重視するようになり、それがその人の唯一のアイデンティティになると、本来は多様であるはずの個人は画一化された枠組みのなかに埋没し、そのアイデンティティを共有しない集団とのあいだには敵対関係が生まれる。資源が乏しくなり、生きることが難しくなればなるほど、こうした傾向は顕著になる。過度の自由主義への批判から共同体主義が脚光を浴びている現在において、そうした動きが偏狭なナショナリズムに発展することを危惧した書と言えるだろう。サンデル教授の本ばかり読まずに、ぜひこの本も読んでみて欲しい。

『アイデンティティと暴力――運命は幻想である』
 アマルティア・セン著、大門毅監訳、東郷えりか訳(勁草書房)

この統一感のない雑多な光景こそ、日本がまだ平和である証拠なのかもしれない