とはいえ、この間のストレスはかなりあり、肋間神経痛かと思うような痛みがあったり、めまいがしたり、歯を強く噛み締めていたりと、黄色信号が出ているのが自分でもよくわかった。隙間時間に寸暇を惜しんで参考文献に目を通せば、仕事も効率よく進むだろうし、多くのことを学べるとは思うのだが、疲れ気味のためつい逃避行動に走ってしまう。何度か書いているが、私の場合、それは往々にしてしょうもない工作物をつくることになる。今回のそれは、たまたまネット上で目にしたサザエさんの家の間取り図がきっかけだった。
年末にもちらりと書いたが、私の孫はこのところやたらサザエさんにはまり、日常のさまざまな場面で、サザエさんのセリフを口にしている。自転車のチャイルドシートのベルトが冬物の上着のせいでうまく締まらないと、「フッ、フッ、ベルトの穴一つで寿命が5年違うと言うじゃないか」など、ふざけたセリフが大半だが、「秋深し隣は何をする人ぞ」という芭蕉の句も、カツオ君のそれをもじったセリフ(何を着る人ぞ)からしっかり覚えていた。これはワカメちゃんが寒くて寝ぼけ眼で布団の上に足拭きマットを掛けて寝る場面からだが、その柄が自宅のトイレ・マットとそっくりであるため、強く印象に残ったらしい。
先日、孫は遊びに夢中でトイレが間に合わず、母親(私の娘)から先を考えて行動しなさいと説教されていた。その直後に娘が「ご飯炊くのを忘れた!」と叫ぶと、六歳児がすかさず「お言葉を返すようですが」と言ったのだ。一瞬の沈黙ののち、娘と私は大爆笑。孫は得意げににんまりとしていた。これは夏休みの宿題を終わらせていないカツオ君を叱るサザエさんに、彼女自身の三日坊主の日記数冊をカツオ君が突き返す漫画で覚えた言い回しだった。
何かとサザエさんを検索していたせいか、先月なかば、フェイスブックにサザエさん宅の俯瞰図が現われたのだ。世田谷区桜新町という設定の、かなり広いその平屋の画像をダウンロードし、孫に見せてやろうと眺めているうちに、考えてみれば孫は畳も障子も襖もない家に生まれ育ったなと思い当たった。四畳半だの六畳だのという言葉が死語になる日も、そう遠くはないのかもしれない。私自身、床間や違い棚は、旅館や保存された日本家屋でしか知らない。
「木材で手軽に建て、ガラスの代わりに紙を張った日本の家屋は、焼けるのに手間はかからない」と、幕末の日本に滞在したアーネスト・サトウが横浜の大火の折に書いたように、日本人は長らく木と紙と、若干の漆喰を使って家を建てていた。襖や障子で仕切られただけの空間は、音は筒抜けで、プライバシーもへったくれもないが、間取りは人数に合わせて自由に変えられ、風通しはやたらによく、陽光も取り入れられ、悪い面ばかりではない。縁側、玄関、勝手口の段差は、日本家屋が思いの外、高床に建てられてきたことを再認識させる。
うちの近所にも、いかにも昭和の家という感じの平屋が何軒もあったし、旧東海道沿いには昭和の初めごろの建築と思われるお屋敷もちらほらあったが、この十数年間で世代交代してどんどん建て替えられてしまった。最近は気密性を高くするためか、窓がほとんどない家もよく見かける。
実際に見ることが難しくなってきた昭和の家の造りを、せめて紙模型で孫に見せてやれたらと思いつき、手始めに2×4センチの小さな紙の畳をたくさんこしらえ、同じサイズで襖をつくった。敷居と鴨居は悩んだ末に、やはり厚紙を細く切ったものを3本貼りつけてみたところ、一応、スライドできることがわかった。雨戸までつくる元気はなかったが、縁側にはOPP袋でガラス戸もつくった。サザエさんの家は物置、トイレ、勝手口以外は、すべて引き戸だ。押し入れには布団を入れ、仏壇、掛け軸、雨戸の戸袋はつくった。木の雨戸のある家も減ってきているが、戸袋に巣をつくるムクドリやハッカチョウが穴から出入りするところは、孫と何度か眺めたことがあったので、戸袋は必須アイテムだった。全部つくるかどうかは不明だが、襖で仕切られた「田の字型の間取り」四部屋は完成させようかと思っている。
こんな調子で工作している限りは、体の不調も感じないので、ストレスはまさしく万病の元と思う。紙の模型に使用する材料はゲラが入ってきた大きな厚紙封筒や、レゴのパーツが入ってきたパッケージ(大量にある)、それに娘が長年、溜め込んだ包装紙等なので、制作費はゼロ円だ。常備しているコニシの木工ボンドだけは、少なくなってきたので買い足したが。狭い家のなかで場所をとるのは困るので、パーツごとにつくって自由に並べる方式にしたので、全体がいまのところA4サイズのネコポス用ダンボールのなかに収まる。
こんな妙なことを思いつくのは私くらいだろうと思ったら、サザエさん宅は人気があるらしく、本格的な模型がいくつも制作されていることを知って大いに笑った。最初に見つけた俯瞰図以外の間取りも複数あり、論文のようなものすら見つかった。まあ、それだけ昭和が遠くなり、ミニチュアで再現しなければならないものになったのかもしれない。